絵葉書法話 66 無事
無事【ぶじ】

人は生まれたとき 救いを外や他に求めない。
ただ笑い、ただ泣き、ただ眠る。
この心の状態を仏教(禅宗)では“無事”と表現する。
とするならば、究極の若返りとは“無事”の姿になることだと言える。
という言葉があります。
花は咲いて散れば土に還り根に戻ります。
散った花が咲いていた枝に戻ろうとすることはありません。
しかし、私達人間は若い頃に戻りたがります。
若い頃に戻ろうとすることは、散った花が枝木に戻ろうとするようなもので現実的ではありません。
しかし、散った花が土に還り根に還るように、人間は生まれたときの仏や、道といった救いを外に求めない心の状態である“無事”の姿に還ることはできるのです。
そして私達は“無事”の姿になるための様々な道をすでにいただいているのです。
それが坐禅であり写経であり読経、掃除、挨拶、布施・・・なのです。
数限りなくある良い習慣を大切にしていくことが無事の姿そのものなのです。

無事【ぶじ】
ほとけや、道や、救いを、外や他に求めない心の状態。
私たちは煩悩を持ってるが、その中にも人間を人間たらしめる純粋な人間性が埋みこめられているので外部にほとけ求める必要がないと実感できた状態が「無事」。

人は生まれたとき 救いを外や他に求めない。
ただ笑い、ただ泣き、ただ眠る。
この心の状態を仏教(禅宗)では“無事”と表現する。
とするならば、究極の若返りとは“無事”の姿になることだと言える。
花は根に 鳥は古巣に かえれども
人は若きに かえることなし
ただ 無事にかえる
という言葉があります。
花は咲いて散れば土に還り根に戻ります。
散った花が咲いていた枝に戻ろうとすることはありません。
しかし、私達人間は若い頃に戻りたがります。
若い頃に戻ろうとすることは、散った花が枝木に戻ろうとするようなもので現実的ではありません。
しかし、散った花が土に還り根に還るように、人間は生まれたときの仏や、道といった救いを外に求めない心の状態である“無事”の姿に還ることはできるのです。
そして私達は“無事”の姿になるための様々な道をすでにいただいているのです。
それが坐禅であり写経であり読経、掃除、挨拶、布施・・・なのです。
数限りなくある良い習慣を大切にしていくことが無事の姿そのものなのです。

無事【ぶじ】
ほとけや、道や、救いを、外や他に求めない心の状態。
私たちは煩悩を持ってるが、その中にも人間を人間たらしめる純粋な人間性が埋みこめられているので外部にほとけ求める必要がないと実感できた状態が「無事」。