絵葉書法話 70 無依道人【 むえ の どうにん 】

我に頼らない
知識や経験は大切ですが、そればかりに頼ってしまうと偏見や思い込みが生まれます。
偏見によって自分の考だけが正しいと考える心に支配された姿を「我【が】」と言います。
偏見など余計なものを脱ぎ捨て「我」にとらわれないで生きていくことが大切です。
この写真に写っている坐禅をしている人は私です。
僧侶が着ているものの中で一番重要なものといっても過言ではない絡子【らくす】を忘れて子供坐禅会を開催していた私を再現した写真です。
子供坐禅会では2回の坐禅を行っています。
絡子を忘れた日、2回目の坐禅が始まったときに絡子がないことに気がつきました。
絡子を忘れたことに気がついていないときは堂々と坐禅をしていたのに、絡子を忘れたことに気がついたときから心は乱れっぱなしです。
「絡子は大切なもので、絶対にしなくてはいけない!」
という思い込みによって絡子なしだと恥ずかしいという「我」が出来上がってしまったからこそ心が乱れたのです。
絡子を忘れたことに気がつかないで坐禅をしているときのような心で日々の生活を送りたいものです。。

無依道人【 むえ の どうにん 】 臨済録
「無依」とは、なにものにも頼らず自立していること、「道人」は仏の道を歩む人を意味している。無依道人は、なにものにもとらわれない仏道修行者ということになる。
- 関連記事
-
- 絵葉書法話 68 随処作主 立処皆真【随処に主となれば 立処皆真なり】 (2019/11/02)
- 絵葉書法話 69芥納須弥【芥に須弥を納る:かいに しゅみを いる】 (2019/11/01)
- 絵葉書法話 70 無依道人【 むえ の どうにん 】 (2019/10/31)
- 絵葉書法話 71 且坐喫茶 (2019/10/30)
- 絵葉書法話 72 人は安らに帰る (2019/10/29)