お坊さんになる“きっかけ” 【笑顔に導かれて編 その2】

ふとした瞬間に思い出す笑顔があります。
そして、その笑顔を思い出したとき
あのときの、あの笑顔があったから、今の私はここにある
と、感じます。
小学校に入学した頃から夏のお盆の時期には僧侶である父の後ろについて御檀家様の家に棚経に行かせていただいていました。
今となっては良い思い出かもしれませんが、当時は苦痛でした。
夏休みを謳歌している同級生を見るのも嫌でしたし、見られるのはもっと嫌でした。
好奇の目にさらされ、後ろ指をさされ笑われる。
隠れようにも隠れる場所もなく、ただ後ろを歩くことしか選択肢がない夏のお盆は私にとって苦痛でしかありませんでした。
嫌だなぁ、嫌だなぁという気持ちは、体の内外にも影響を及ぼすようで、私はあるお宅で盛大にお経を間違えてしまいました。
大きな声でお経は読むように言われていましたので、大きな声を出していました。
当然、間違えれば誰でも気がつきます。
「やってしまった、父に叱られる、御檀家様に笑われる・・・」
そんなことが頭の中をグルグルと駆け巡り、最後までお経を読めたか記憶にありません。
しかし、お経が終わり「怒っているかな?あきれているかな?あわれんでいるかな?」グチャグチャと考えながら振り返ると
後ろでお参りをしてくれていた女性はにっこりと微笑んでいたのです。そして、「がんばってお経を読んでくれてありがとね。」
と声をかけてくれたのです。
バカにしたような笑いでもなく、あきれているのでもない、不機嫌でもない、もちろん怒ってもいない。
ビクビクしていた私はあの時の笑顔に本当に救われたような気持になりました。
例え失敗したとしても、振り返えったときににっこりと微笑んでくれる人がいるという事実はその後の私の人生の支えになりました。
そして、進路について悩んだとき この笑顔という御恩になんとか報いていきたいと感じたことも、今の私を作り上げているように思います。
そう考えると、あのときの、あの笑顔があったから、今の私はここにあるのだと感じます。
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