お坊さんになる“きっかけ” 【尊敬する僧侶との出会い編 その4】

幼い頃から言っていることとやっていることが違う大人が大嫌いでした。
タバコを吸いながらタバコを吸っちゃいけないと言う。
酒を飲んで酔っ払いながら、飲酒をした中学生に空き缶を投げつけて指導する。
自分の悪事を正当化することが得意な人が、悪いことをしちゃだめだと叱る。
目上の人には文句を言わないのに、同じことをした子供には異様に強くあたる。
不倫をしながら道徳を説く。
そんな大人達の姿を見ていると、大人になることは汚いものになることだと感じ「大人になりたくない」と強く願って大きくなったように感じます。
そして、そんな大人になりたくないと抵抗しながらも“大人”になっていく自分に戸惑っていた時期もありました。
ちょうど同じ頃、ある和尚様と話をする機会がありました。
1.5m程離れて対面上に座っているのに、押しつぶされるのではないかと感じるほどの圧力を出す方でした。
短い時間でしたが、「しっかりと修行をしなさい、お寺のことを勉強しなさい。」など いくつか将来のことについてアドバイスをいただきました。
正直な話をしますと その時には「まぁそうだよね、それが理想だよね。・・・きれいごとだね。そう言っているあなたも陰ではそんな理想的な行動はしていないでしょ。」と心の中で考えてしまっていました。
本当に腐った考えです。・・・恥ずかしい限りです。
しかし、そんな考えが間違っていたことがすぐに分かりました。
その和尚様とはその後何度も長時間御一緒することがありましたが、常に理想的な行動をされようとする方でした。
そして、その上で相手が間違ったことをすれば、相手が上司であっても知り合いでも、誰に対しても臆することなく意見を出していくのです。
もちろん、その和尚様が間違っていることもあります。しかし、そんなときも言い訳をすることなく誠心誠意謝罪をされていました。
どんなときでも筋が通った生き方をされていたのです。
まずは自分を律し、そして周囲の人まで律しようとする姿を見たときに、
「こういう大人がいたんだ!」
という驚きと感動を覚えました。
仏教では、私達は生まれながらに仏様のような尊い心をいただいていること。
そして、この尊い心を大切にしながら生きていくことを説いています
しかし、普段の生活を律することができなければ せっかくいただいた尊い心をどんどん汚していってしまうことになります。
当時の私も漠然とそのように感じていました。
しかし、何をどうしたら良いのか分からずにいたのです。
そんなとき、この和尚様との出会いがあったのです。
この和尚様はどのような世界を見ているのか、自分も見てみたい。
そんな思いが今の私の一部になっているのかもしれません。

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