お坊さんになる“きっかけ” 【頼まれたお葬式編】
自分自身の生き方を決めるときに どんなことをきっかけにしたのか思い出してみると、私の場合には多くのきっかけがあったのだと感じます。
どれかひとつに絞ることなどできません。
しかし、どれもが大切な きっかけだったことは間違いありません。

私は幼い頃(小学生の頃)に葬儀を依頼されたことがあります。
友人の家に遊びに行ったとき、彼のお父様に
「俺が死んだら、お葬式頼むな!」
と言われたのです。
友人とは小さい頃から近所の公園やお互いの家で遊んでいました。たまに友人の家でそのお父さんに会うと「よう、久しぶりだな」といった挨拶をしていました。この男性には私に向かってはあいさつと一緒にいつも口癖のように「俺が死んだら、お前がお葬式をしてくれよ」と言っていました。
確かに当時から私はお寺で生活をさせてもらっていましたが、小学生の頃の私にはどう返事をしたらよいか分からない言葉でした。
月日が流れ私自身が自分の進路について考えたり、どのような生き方をしていくのか考えるときになりました。多くの方に教えていただいたことなど思い出しながら進路について自分なりに考えていました。
そんな時、なぜか思い出すのが、男性の「俺が死んだら、お前がお葬式をしてくれよ」という言葉でした。
そして、僧侶やお寺から離れて生活がしたいと感じたときも、この言葉を思い出していました。
しかし、この言葉を思い出しながらもやがて私はお寺・僧侶と違う方向へ進路を進め社会人として過ごしていました。
社会人として充実した日々を過ごしているときでも、不思議なことに時々男性の言葉を思い出して、
「私はこのまま自分のやりたいことだけをやっていていいのだろうか」
と悩むことも多くありました。
「もしかしたら自分を必要としてくれている人がいるのではないか」
「やらなくてはいけないことがあるのではないか」
とも考えるようになりました。
もちろん、男性の言葉だけではありませんが、様々な出来事、経験をさせていただいたとき、この言葉を思い出し私は僧侶として生きていこうと決意をし、修行をさせていただき、お寺に戻ることができました。
そして、お寺に戻ってきてしばらくした頃、私は衝撃的な電話を受けることになるのです。電話は友人からで、お父さんが亡くなったことを伝える電話でした。
僧侶として初めてのお葬式が
「俺が死んだら、お前がお葬式をしてくれよ」
と言ってくれていた男性のお葬式になってしまったのです。
通夜は自宅で、葬儀はお寺で行うことになりました。
お通夜のために男性の自宅の階段を上っているとき男性が私に「お前がお葬式をしてくれよ」と言ってくれているときのことを鮮明に思い出していました。
しかし、思い出すと同時に
「なぜ私に葬儀を任せることができたのだろう。」
という疑問が出てきました。
私が息子の友達だから葬儀を頼んだのか。それとも代々お寺のお檀家様であり、私がそのお寺で生活をしている人間だから頼んだのか。
どんなに思い出してみても、そのような意図をもって発言している様子はなかった気がします。
そして通夜の際にご家族や知人の方に聞いた男性の姿から、なぜあのようなことが言えたのか分かった気がしました。
男性の通夜、葬儀にはたくさんの方がお参りに来られていました。会社等の関係があるため義理で参列しているのではなく、たくさんの方々が男性との別れを悲しみながらお参りをされていました。これは男性が生前に多くの方との「御縁」をとても大切にし、日々の生活を送っていたことを示していました。
その様子はお釈迦様が亡くなれた際の涅槃図のように私は感じました。

そして私は、この通夜や葬儀での様子、男性が生前に法事、棚経などでお参りをしている姿を思い出したとき、
「俺が死んだらお前が葬式をしてくれよ」という言葉は、私が息子の友人だから、お寺の子供だから、地元の人間だから・・・そういった細かい諸条件を足し算していって私に葬儀を頼んでいたのではないと確信をしました。
男性は「御縁」とも表現される多くの関わりやつながり、そういったものを感じ、目の前の損得にこだわることなく御縁を全て受けとめる方だったのだと思いました。
そんな「御縁」を感じ受け止めることができるからこそ、当時 目の前に立っていた私に 「死んだら頼むな」となんのこだわりや躊躇もなく言ってくれていたのだと感じました。
私は今でも、この男性のことを思い出すたびに、自分自身も男性のように御縁を選ばず受け止めて生きているのか振り返るようにしています。
どれかひとつに絞ることなどできません。
しかし、どれもが大切な きっかけだったことは間違いありません。

私は幼い頃(小学生の頃)に葬儀を依頼されたことがあります。
友人の家に遊びに行ったとき、彼のお父様に
「俺が死んだら、お葬式頼むな!」
と言われたのです。
友人とは小さい頃から近所の公園やお互いの家で遊んでいました。たまに友人の家でそのお父さんに会うと「よう、久しぶりだな」といった挨拶をしていました。この男性には私に向かってはあいさつと一緒にいつも口癖のように「俺が死んだら、お前がお葬式をしてくれよ」と言っていました。
確かに当時から私はお寺で生活をさせてもらっていましたが、小学生の頃の私にはどう返事をしたらよいか分からない言葉でした。
月日が流れ私自身が自分の進路について考えたり、どのような生き方をしていくのか考えるときになりました。多くの方に教えていただいたことなど思い出しながら進路について自分なりに考えていました。
そんな時、なぜか思い出すのが、男性の「俺が死んだら、お前がお葬式をしてくれよ」という言葉でした。
そして、僧侶やお寺から離れて生活がしたいと感じたときも、この言葉を思い出していました。
しかし、この言葉を思い出しながらもやがて私はお寺・僧侶と違う方向へ進路を進め社会人として過ごしていました。
社会人として充実した日々を過ごしているときでも、不思議なことに時々男性の言葉を思い出して、
「私はこのまま自分のやりたいことだけをやっていていいのだろうか」
と悩むことも多くありました。
「もしかしたら自分を必要としてくれている人がいるのではないか」
「やらなくてはいけないことがあるのではないか」
とも考えるようになりました。
もちろん、男性の言葉だけではありませんが、様々な出来事、経験をさせていただいたとき、この言葉を思い出し私は僧侶として生きていこうと決意をし、修行をさせていただき、お寺に戻ることができました。
そして、お寺に戻ってきてしばらくした頃、私は衝撃的な電話を受けることになるのです。電話は友人からで、お父さんが亡くなったことを伝える電話でした。
僧侶として初めてのお葬式が
「俺が死んだら、お前がお葬式をしてくれよ」
と言ってくれていた男性のお葬式になってしまったのです。
通夜は自宅で、葬儀はお寺で行うことになりました。
お通夜のために男性の自宅の階段を上っているとき男性が私に「お前がお葬式をしてくれよ」と言ってくれているときのことを鮮明に思い出していました。
しかし、思い出すと同時に
「なぜ私に葬儀を任せることができたのだろう。」
という疑問が出てきました。
私が息子の友達だから葬儀を頼んだのか。それとも代々お寺のお檀家様であり、私がそのお寺で生活をしている人間だから頼んだのか。
どんなに思い出してみても、そのような意図をもって発言している様子はなかった気がします。
そして通夜の際にご家族や知人の方に聞いた男性の姿から、なぜあのようなことが言えたのか分かった気がしました。
男性の通夜、葬儀にはたくさんの方がお参りに来られていました。会社等の関係があるため義理で参列しているのではなく、たくさんの方々が男性との別れを悲しみながらお参りをされていました。これは男性が生前に多くの方との「御縁」をとても大切にし、日々の生活を送っていたことを示していました。
その様子はお釈迦様が亡くなれた際の涅槃図のように私は感じました。

そして私は、この通夜や葬儀での様子、男性が生前に法事、棚経などでお参りをしている姿を思い出したとき、
「俺が死んだらお前が葬式をしてくれよ」という言葉は、私が息子の友人だから、お寺の子供だから、地元の人間だから・・・そういった細かい諸条件を足し算していって私に葬儀を頼んでいたのではないと確信をしました。
男性は「御縁」とも表現される多くの関わりやつながり、そういったものを感じ、目の前の損得にこだわることなく御縁を全て受けとめる方だったのだと思いました。
そんな「御縁」を感じ受け止めることができるからこそ、当時 目の前に立っていた私に 「死んだら頼むな」となんのこだわりや躊躇もなく言ってくれていたのだと感じました。
私は今でも、この男性のことを思い出すたびに、自分自身も男性のように御縁を選ばず受け止めて生きているのか振り返るようにしています。
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