サンキュー・ワオ!
「サンキュー」と言われたら間髪入れずに「ワオ!」と答える!!
このように教わったことがあります。
東光寺(静岡市清水区横砂)は臨済宗妙心寺派のお寺です。
この臨済宗の僧侶が集まって徹底的に法話の勉強をする勉強会があります。
それが高等布教です。

高等布教は京都の妙心寺に40人から50人程の僧侶が集まって2週間徹底的に法話の勉強をするのです。
私はこれまでに、この高等布教に3回参加をさせてもらっています。
ここでのある出来事が深く印象に残っています。
40人から50人の僧侶が集まってどんな勉強をするのかと言えば、指導してくださる和尚様、私達は「主幹さん」とお呼びしますが、この主幹さんから課題をいただき、その課題にそった15分の法話を作成し参加者の前で発表をする。こういった勉強会です。
法話が終わると主幹さんから講評と新たな課題をいただく。
そして法話を作り発表する。
これを5回繰り返します。
もちろん発表をするだけでなく、全員の法話も聞きその場で感想を書き発表者に伝えます。
朝から夕方まではすべて発表の時間で、夕食を食べた後が各自の自習時間です。
私はこの高等布教を受講させていただいたときに「すごい!!」を感じた出来事がありました。
初めて参加した高等布教は右も左も分からないまま、あっという間に2週間過ぎていました。
そして、最後の発表者の法話終わると閉会式です。
この閉会式で主幹さんが挨拶をされ、主幹さんは挨拶の最後に
「皆さんに、ひとつ言葉を送りたいと思います。」
とおっしゃったのです。全員が静かに主幹さんの言葉に耳を傾けていると、主幹さんは課題の一つになった禅語を大―きな声で唱えられたのです。
私はこの時、「あ~、なるほど。主幹さんは私達にこの禅語をくださったのだ」と感じていました。
ところが、他の参加者の方と数か月後に話しをしていると、その方は
「主幹さんの最後の言葉に反応ができなかった。何か返事を返さなければいけなかったのに 返事を返せなかった」
と悔しそうに言われたのです。あの時の私は返事を返そうともしていない、ただ受け取るだけの人だったことが恥ずかしくなりました。
実はこの話しはここでは終わらないのです。
初めての高等布教から4年後、私は3回目の高等布教を受講するため再び妙心寺を訪ねました。すると、なんと主幹さんが4年前と同じ方だったのです。
2週間の勉強会が終わり再び主幹さんが挨拶をされます。
私は4年前を思い出し、「主幹さんが何か言ったら返事をしてやろう!」と意識をして話を聞いていました。
そして再び主幹さんが「皆さんに、ひとつ言葉を送りたいと思います。」と言ったのです。
私は「きたぞ、きたぞ、どんな言葉が来るんだ!?」と固唾をのんで待っていました。
しかし、主幹さんが口を開いたとき思いもよらない言葉出てきたのです。
「サンキュー!」
お坊さんが2週間徹底的に仏教・法話の勉強をしてきて、最後の最後に「サンキュー」!??
「え、サンキュー?? 仏教の言葉なのか?? そんな言葉知らないぞ!」
私の頭の中はパニックです。しかし、私が戸惑うか戸惑わないか、つまり「サンキュー」の言葉が発せられた直後にすぐ近くに座っていた別の参加者が 大きな声で
「ワオ!」
と答えたのです。
実はこのやりとり、「サンキュー」・「ワオ!」の意味を考えますと、この返事は非常に見事です。説明は省きますが2週間の高等布教を凝縮した見事なやり取りなのです。
ですから、「ワオ!」という言葉が聞こえたとき、
自分は主幹さんと一体となろうともせず、設問に対して知識や経験をもとに考えて答えを出そうとしていたことに気がつきました。
そして、自分の未熟さを痛感すると共に、瞬間的に「ワオ!」と答えた参加者は主幹さんと心がひとつになっていたのだと感じました。
このように教わったことがあります。
東光寺(静岡市清水区横砂)は臨済宗妙心寺派のお寺です。
この臨済宗の僧侶が集まって徹底的に法話の勉強をする勉強会があります。
それが高等布教です。

高等布教は京都の妙心寺に40人から50人程の僧侶が集まって2週間徹底的に法話の勉強をするのです。
私はこれまでに、この高等布教に3回参加をさせてもらっています。
ここでのある出来事が深く印象に残っています。
40人から50人の僧侶が集まってどんな勉強をするのかと言えば、指導してくださる和尚様、私達は「主幹さん」とお呼びしますが、この主幹さんから課題をいただき、その課題にそった15分の法話を作成し参加者の前で発表をする。こういった勉強会です。
法話が終わると主幹さんから講評と新たな課題をいただく。
そして法話を作り発表する。
これを5回繰り返します。
もちろん発表をするだけでなく、全員の法話も聞きその場で感想を書き発表者に伝えます。
朝から夕方まではすべて発表の時間で、夕食を食べた後が各自の自習時間です。
私はこの高等布教を受講させていただいたときに「すごい!!」を感じた出来事がありました。
初めて参加した高等布教は右も左も分からないまま、あっという間に2週間過ぎていました。
そして、最後の発表者の法話終わると閉会式です。
この閉会式で主幹さんが挨拶をされ、主幹さんは挨拶の最後に
「皆さんに、ひとつ言葉を送りたいと思います。」
とおっしゃったのです。全員が静かに主幹さんの言葉に耳を傾けていると、主幹さんは課題の一つになった禅語を大―きな声で唱えられたのです。
私はこの時、「あ~、なるほど。主幹さんは私達にこの禅語をくださったのだ」と感じていました。
ところが、他の参加者の方と数か月後に話しをしていると、その方は
「主幹さんの最後の言葉に反応ができなかった。何か返事を返さなければいけなかったのに 返事を返せなかった」
と悔しそうに言われたのです。あの時の私は返事を返そうともしていない、ただ受け取るだけの人だったことが恥ずかしくなりました。
実はこの話しはここでは終わらないのです。
初めての高等布教から4年後、私は3回目の高等布教を受講するため再び妙心寺を訪ねました。すると、なんと主幹さんが4年前と同じ方だったのです。
2週間の勉強会が終わり再び主幹さんが挨拶をされます。
私は4年前を思い出し、「主幹さんが何か言ったら返事をしてやろう!」と意識をして話を聞いていました。
そして再び主幹さんが「皆さんに、ひとつ言葉を送りたいと思います。」と言ったのです。
私は「きたぞ、きたぞ、どんな言葉が来るんだ!?」と固唾をのんで待っていました。
しかし、主幹さんが口を開いたとき思いもよらない言葉出てきたのです。
「サンキュー!」
お坊さんが2週間徹底的に仏教・法話の勉強をしてきて、最後の最後に「サンキュー」!??
「え、サンキュー?? 仏教の言葉なのか?? そんな言葉知らないぞ!」
私の頭の中はパニックです。しかし、私が戸惑うか戸惑わないか、つまり「サンキュー」の言葉が発せられた直後にすぐ近くに座っていた別の参加者が 大きな声で
「ワオ!」
と答えたのです。
実はこのやりとり、「サンキュー」・「ワオ!」の意味を考えますと、この返事は非常に見事です。説明は省きますが2週間の高等布教を凝縮した見事なやり取りなのです。
ですから、「ワオ!」という言葉が聞こえたとき、
自分は主幹さんと一体となろうともせず、設問に対して知識や経験をもとに考えて答えを出そうとしていたことに気がつきました。
そして、自分の未熟さを痛感すると共に、瞬間的に「ワオ!」と答えた参加者は主幹さんと心がひとつになっていたのだと感じました。
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