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自然の流れに任せてみる

大学生のとき友人と行った学食で


「この席ばっといて!」


と言っても意味が通じなかったことを今でも覚えています。


場所を確保することを静岡の方言では“ばっとく”と言うのです・・・


静岡の言葉に方言はないと信じて上京した若者のよくある失敗です。







500ハチの巣190918

先日、畑の整備をしていると古いハチの巣を発見しました。



数年前のものと思われるハチの巣ですので、特に危険はありません。



よく観察をしてみると、
(写真には写っていませんが)
息絶えたハチと、小さなカタツムリの死骸(殻!?)数個が巣の中に収まっていました。




誰もいなくなったハチの巣をカタツムリが住みかとして利用していたように感じます。




私達人間は昔から


「自分の土地・自分の財産」


と主張し争いを続けてきました。




人間は例え、空き家になり、掃除をすることなくほったらかしにしている実家だとしても誰かが住みついていたら全力所有権を主張し追い出そうとすることでしょう。



ハチは巣が必要無くなれば飛び立ち、カタツムリが住んでいても争いが起こっていないように感じます。




"吾等もとより空手にして、この世に来り、空手にして又帰る


と言うも言葉があります。




私たちは空手【くうしゅ】という何も所有しないでこの世に生まれてきた。そして、ご縁が尽きれば一切の所持品を遺して以前の世界に返っていくことを表しています。





ハチは巣を使っているときに敵がくれば追い出しますが、必要なくなればカタツムリに譲ります。


自然の姿であり“空手にして、この世に来り、空手にして又帰る”という姿を見せてくれています。



使わないものにまで所有権を主張する姿とは正反対です。


しかし、人間にこのようなことができないわけではありません。


出かけた先で席を“ばっておき”、使い終わったらきれいにして帰っていく。


そのような実践を繰り返すことも“空手にして、この世に来り、空手にして又帰る”を学ぶ第一歩なのかもしれません。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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