信仰は形からなのか!?

信仰とは 行動にともなって自然と身につくもの。だから信じなくてもまずは祈ることが大切だ。
という言葉を聞いたことがあります。信仰を辞書で調べれば
無垢(むく)な心で神仏を信頼し崇拝すること。
と書いてあります。
先日の記事で
予想外の苦しみなどに出会ったときに必要なのは心の拠り所であり、これは信仰心や信じる心です。
と書きました。
※記事はこちらです。
では、この信仰心はどこにあり、どのように形成されるものなのでしょうか。
辞書には“信仰心は仏を信頼すること”とあります。
では仏はどこにいるのか?
禅宗では“自分が仏である”とし、そのことを自覚することの大切さを説いています。
臨済宗相国寺派管長の有馬頼底師の著書の中に
禅宗では「一掃除。二信心」と申します。お経を読むより、まず掃除をしろということです。
それはなぜかと言えば、掃除そのものが功徳だからです。掃除即仏法なのです。
仏法というのは、なにも特別なことではありません。
掃除をすることが、すなわち仏さまの教えなのであります。
という言葉があります。
特別なことではなく、目の前にあることに一生懸命取り組むことで“信心”が起こる。つまり自分が仏であると自覚することができるのです。
冒頭の
信仰とは 行動にともなって自然と身につくもの
という言葉は
ただ漠然と「私の中にも仏の心がある」と思い込むのではなく、”行動” 特別な修行ではなく掃除・挨拶・合掌など身近な良い習慣を実践することで苦しんだときに必要な心の拠り所を見つけることができることを教えてくれているようにも感じます。