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泥水の中に入ると足元が見えません・・・

生まれて初めて濁った川の中を歩きました。



最初の数歩で見えない石につまずき転びそうになりました。



「怖い」と素直に感じました。






500ラフティング190911





先日、2年ぶりにラフティング(ゴムボートで活動的な川下り)に行ってきました。


数日前の雨の影響で川の水は濁っており、浅い場所でも川底は見えません。


ゴムボートを川に運び、乗り込む時点で私は見えない川底に足をとられてしまったのです・・・


その後は、川の中を歩く時にはゆっくりと慎重に、そしていつもより少し足を高く上げて歩くようにした所 つまずくことなく無事に移動することができました。


眼では見ることができませんが、足で自分の足元を慎重に感じながら動くこと大切さを学ぶことができました。







禅の言葉(禅語)に看脚下【かんきゃっか】という言葉があります。




「自分の足元をよく見なさい」


という意味ですが、そこから転じて、


大切な教えを求めるのに遠いところを探さないで、身近なところをしっかりと見てみなさい!


という意味で使われる言葉です。


お寺の玄関などで見かけることが多いかもしれません。






濁った川の中を歩く時には、遠くにある景色を見ながら歩いても意味がありません。


見えない川底を見ようとしても歩けません。


足元の感覚をできる限り使って進むしかできません。


特別な力が急に身につくことはありません。


今できることを一生懸命することによって濁った川の中を歩くことができるのです。






妙心寺派元管長である河野太通老師が著書の中で


看脚下、暗くて行く道も定かでないときには、足下に気をつけるのがよろしい。仏法の奥義といいますと、とかく深遠玄妙なものであると思いがちですが、実は日常平凡なところ、すなわち脚下にあるのです。



と示されています。




何かを成し遂げたいと感じたとき、どうしても特別なことをしなくてはいけないと感じてしまいます。


濁った川の中を歩くために必要なことは特別な能力ではなく、歩みは遅くても出来ることを精一杯することでした。


何かを成し遂げたいと感じたときには日常の生活を見直し、今自分が本当に精一杯取り組んでいるのかを確認することが大切なのだと感じます。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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