思わず手を合わせた自分に驚いた【三十三間堂】

記憶が正しければ、中学校の修学旅行以来25年ぶりに京都にある三十三間堂へ行ってまいりました。
正面の柱間が33あることから三十三間堂と呼ばれる、幅が120mもあるお堂に1001体もの観音像が祀られている あの有名な三十三間堂です。

中学生だった当時の私は
「あ~、たくさん古い人形があるな~」
くらいにしか感じていませんでした・・・・ 本当に情けない中学生でした・・・
では、現在の私が三十三間堂を訪ねたらどうなるのか!?
お堂に入ったとき、圧倒的な存在感を放つ観音様に心を鷲づかみされ、思わず手を合わせていました。
それと同時に、手を合わせている自分に気がつき、
「あ、私が自然と手を合わせている!!」と、自分に自分で一番驚きました。
そして手を合わせている自分に驚くと同時に、私が尊敬する人物のことを思い出しました。
その方はすでに天寿を全うされ93歳で亡くなっている方です。
その方は、晩年は介護施設で過ごされていたため、お葬式には介護施設のスタッフの方もお参りをされていました。
介護施設のスタッフの方がお通夜や葬儀に参列されることも多くはありませんが、親族でもないスタッフの方々があれほど涙しながら別れを惜しんだことを私は後にも先にも見たことがありません。
葬儀の後に、スタッフの方々と話をすると、その方はどんなときでも「ありがとう」とスタッフの方々に声をかけられていたそうです。
そらに、話をすることが難しくなってきた後もことあるごとに手を合わせて頭を下げられていたというのです。
その話を聞いたとき、改めてその方のような人が
衆生本来仏なり・生きとし生けるもの誰もが仏様のような尊い心を頂いている
という仏教の大切な教えを会得しているのだと感じました。
仏様を見たら手を合わせずにはいられない
そんな気持ちで周囲の方々に感謝の気持ちを忘れずに、素直に手を合わせ続けることができた その方のことを三十三間堂で私は思い出したのです。
私は、圧倒的な存在感を示す観音様に心打たれて手を合わせました。
しかし、この行為は自分自身がまだまだ未熟者だと示しているように感じます。
観音様だから手を合わせた。
観音様はどこにいるのか!?
その答えが 衆生本来仏なり なのです。
私の中にも、あなたの中にも仏様はいるのです。
もっと端的に言えば、私もあなたも、そして全てのものが仏様なのです。
そのことに気がついたとき、手を合わせずにいられるでしょうか。
圧倒的な観音様を見たときにだけ手を合わせるのではなく、いつでも・どこでも・どんなときでも・誰にでも「ありがとう」と手を合わせる
姿こそが大切なのだと感じます。
それを実践することは簡単なことではありません。
素直な気持ちで人に手を合わせることに抵抗を感じることもあります。
しかし、まずは目の前にいる人に手を合わせて挨拶をすることから始めてみようと考えています。
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