施餓鬼会【せがきえ】 令和元年
東光寺(静岡市清水区横砂)では、毎年8月7日は、ご先祖様をはじめ、すべての霊を供養する山門大施餓鬼会(さんもんだいせがきえ)を行っています。

今年も多くの和尚様方、檀信徒の皆様でお参りをすることができました。

今年の施餓鬼の飾りつけです。皆様にお参りをしていただくときにお供えする”洗米”と”水”も用意してあります。読経中、僧侶に続きお参りをしてくださった皆様に水向け【みずむけ:洗米やお水をお供えする】に進んでいただきました。
施餓鬼とは、餓鬼【がき】に施す【ほどこす】と書きます。
餓鬼とは満足をすることを知らず、貪り続ける状態のことを言います。
私は「餓鬼」というとお腹がポコッと出てひたすら何かを食べ続ける妖怪のような生き物を思い浮かべていました。漫画や挿絵でみる餓鬼という妖怪の姿を思い浮かべていました。
確かに餓鬼とは感謝することも満足することも知らないで、欲望に振り回される者のことです。しかし、餓鬼はどこか遠くにいる特別な妖怪ではありません。欲望に振り回される私たちの心の中にもいるのです。
「施」という字は見返りを求めない気持ちも表していますので、見返りを求めず餓鬼に洗米と言って洗ったお米やお水をお供えし供養すると同時に水一滴・お米一粒でも満足することができるはずの自分の心を見つめ直す法要が施餓鬼会なのです。
多くの地域で昔からおこなれてきている習慣ですので、菩提寺などで
「お施餓鬼があるよ」
と言われたら、積極的に参加しお参りをしていただければと願っています。


今年も多くの和尚様方、檀信徒の皆様でお参りをすることができました。

今年の施餓鬼の飾りつけです。皆様にお参りをしていただくときにお供えする”洗米”と”水”も用意してあります。読経中、僧侶に続きお参りをしてくださった皆様に水向け【みずむけ:洗米やお水をお供えする】に進んでいただきました。
施餓鬼とは、餓鬼【がき】に施す【ほどこす】と書きます。
餓鬼とは満足をすることを知らず、貪り続ける状態のことを言います。
私は「餓鬼」というとお腹がポコッと出てひたすら何かを食べ続ける妖怪のような生き物を思い浮かべていました。漫画や挿絵でみる餓鬼という妖怪の姿を思い浮かべていました。
確かに餓鬼とは感謝することも満足することも知らないで、欲望に振り回される者のことです。しかし、餓鬼はどこか遠くにいる特別な妖怪ではありません。欲望に振り回される私たちの心の中にもいるのです。
「施」という字は見返りを求めない気持ちも表していますので、見返りを求めず餓鬼に洗米と言って洗ったお米やお水をお供えし供養すると同時に水一滴・お米一粒でも満足することができるはずの自分の心を見つめ直す法要が施餓鬼会なのです。
多くの地域で昔からおこなれてきている習慣ですので、菩提寺などで
「お施餓鬼があるよ」
と言われたら、積極的に参加しお参りをしていただければと願っています。

- 関連記事
-
- インターネット上での情報発信 (2019/11/29)
- 寺嫁まめこのひとこと通信 VOL.9 【施餓鬼:せがき】 (2019/08/08)
- 施餓鬼会【せがきえ】 令和元年 (2019/08/07)
- 菩提樹の花が満開 【令和元年】 (2019/06/07)
- 写経会開催報告 【令和元年5月】 (2019/05/23)