ありがとう と 当たり前

今年も東光寺(静岡市清水区横砂)では1日を通して小学生がお寺のこと等を体験する寺子屋体験を開催いたしました。
参加してくれた子供達と過ごしていると様々なことを感じます。
今年はある参加者に“ありがとう”という言葉の大切さを改めて教えていただきました。
寺子屋体験では、参加者に様々なものを配ります。
開会式では東光寺特製の坐禅手帳や名札など
お寺のことを体験する企画の時には説明を書いたプリント
企画によっては折り紙やあやとりの紐・・・
私はプリントを配っているときに参加者の一人が言った素直な「ありがとう」という言葉が印象に残っています。
その参加者は、いつも大きな声で「ありがとうございます!」と言ってくれるのです。
配り物を受け取るときにも、私に質問をして答えが帰って来たときにも、席をゆずってもらったときにも大きな声で
「ありがとうございます!」
と気持ちの良い大きな声を出していました。
何かあると「ありがとうございます!」
遠くにいても どこからともなく彼の「ありがとうございます!」の声が聞こえてきて とてもすがすがしい気持ちになったことを覚えています。
逆に、プリントを受け取っても何も言わずに手だけを出す参加者や、何かを教わっても何も言わない参加者、坐禅をする座布団を出してもらっても何も言わずに座る参加者もいます。
ありがとう という言葉は仏教の言葉です。
法句経(お釈迦様の教えを記したとても古いお経)に
人の生(しょう)を
受くるは難(かた)く
やがて死すべきものの
いま生命(いのち)あるは有難(ありがた)し
とあります。 この言葉は
今、ここに自分の「命」があることを実感することの大切さを説く言葉です。
「命」が誕生することは 大変に難しいこと
↓
命が有ることは難しい
↓
有ることが難しい
↓
有り難う
↓
ありがとう
となるのです。
昔から「ありがとう」は魔法の言葉と言われ、裏表のない「ありがとう」は多くの幸せを運んできてくれます。
いつも、誰かが、自分のために何かしてくれることが“あたりまえ”と感じている人は「ありがとうございます!」と素直に言うことはできません。
しかし、いつも「ありがとうございます!」と大きな声で気持ちよく答えているその参加者の言葉はまさに裏表のない「ありがとう」だったように感じます。
そして、その「ありがとうございます!」の声を聞いたとき、学校や塾などのテストでは測ることができない彼の“心の点数”は間違いなく100点満点だと感じました。
小さい頃から難しい勉強をして、人よりも早く漢字や九九を覚えることも大切かもしれません。しかし、私は それよりも大切なことがあることを「ありがとうございます!」の声に教えてもらった気がします。
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