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好き嫌いを離れた世界 その4 

これまでに、“好き嫌いを離れた世界”と題名をつけ3つの記事を書かせていただきました。


その1 日本平からの景色
その2 焼香
その3 登呂遺跡のカラス
※各記事は題名をクリックしていただければ読んでいただくことができます。


500こまめの中に天使がいる



全ての記事に登場したのが


勿嫌底法 【嫌う底の法勿し:きらう ていの ほうなし】


という言葉です。



すべてのものにおいて、嫌うべきものは全くない。

ものごとの真実の姿を見ようとするなら、好き嫌いや選り好みを捨て去ることが大切である、という臨済義玄の教えを表す言葉です。







臨済宗の最初の和尚様である臨済義玄禅師は約1200年前、唐代・現在の中国の僧侶であり、お釈迦様より数えて38代目の和尚様です。臨済禅師は御弟子様達を大変厳しく指導され、その臨済禅師の教えを弟子が編集したものが臨済宗では最も大切な語録とも言われる臨済録です。


この臨済録の中に今回のテーマとなっている「嫌う底の法無し」という言葉が出てくる部分があります。臨済禅師が弟子たちに向かって教えを説いている場面です。この場面で発せられた臨済禅師の言葉を紹介します。






わしの見地からすれば、すべてのものに嫌うべきものはない。(嫌う底の法無し)

君たちが。もし聖なるものを愛したとしても、聖とは聖という名にすぎない。

修行者たちの中には五台山に文殊を求める人がいるが、すでに誤っている。

五台山に文殊はいない。

君たち、文殊に会いたいと思うか。今わしの面前で躍動しており、終始一貫して、一切ためらうことのない君たち自身、それこそが活きた文殊なのだ。







とあります。




嫌うべきものは全くない。ものごとの真実の姿を見ようとするなら、好き嫌いや選り好みを捨て去ることが大切である。

悟りの世界はすぐ近くにあるのに、人々がその良し悪しを判断したり好き嫌いで区別したりすることによって真の姿を排除し、遠ざけてしまっている。





と説いているのです。





 私達は、悩み苦しんだときに、その苦しみの原因を外に見つけようとし、遠くにいると思い込んでいる仏様や文殊菩薩などに救いを求めます。

これにより、私達は自分自身で悩む苦しみを増大させていってしまいます。






では、どうしたら良いのでしょうか。どうしたら、自分こそが文殊菩薩だと思えるのでしょうか。



何か特別なことではなく、毎日やっている日常の中にこそ実践できることがたくさんあるのです。





食事を出していただいたのなら、好き嫌いを考えず感謝していただく。

花を頂いたら、色や香りの好き嫌いを考えずに、感謝して飾ってみる。

服を頂けば着る・・・、

「出されたものを 感謝して 使い切る」このような日常の中での実践を積み重ねることこそが大切なのではないでしょうか。






「嫌う底の法勿し」


嫌うべきものは全くない。好き嫌いや選り好みを捨て去ることで悟りの世界はすぐ近くにあることを頭の片隅に留めていただき、日常の生活を大切にしていただくことを祈念して今回の話しを終わらせていただきます。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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