言葉では説明ができません 【パセリ】

小学生の長女がお弁当に入っているパセリを見ながら悩んでいました。
「どうしたの?」
と聞くと
「パセリってどんな味だっけ?昔、食べたことがあって苦手だということは覚えているけど・・・どんな味か思い出せないんだよね。」
と言う。これを聞いていた次女が
「緑の味だよ、緑の味!!」
と話に入ってきます。長女は
「何、緑の味って!?意味が分からない!」
と言いながらパセリを口に入れました・・・
そして、一言・・・
「緑の味だ!」
長女と次女は顔合わせて笑っていました。
禅の言葉に不立文字【ふりゅうもんじ】と見性成仏【けんしょうじょうぶつ】という言葉があります。
不立文字は「お釈迦様の教えは人の心から心へと直接伝えられるもので、言語化できない」ことを意味しています。
見性成仏は「本来、自分自身が備えている仏性(仏様のような尊い心)を自覚して仏になる」ことを意味しています。
禅宗では
まず坐禅して、自分の心を徹底的に見つめて自分の心が清浄であると見抜く(見性成仏)。
しかし、それを囗で説明できない(不立文字)。
と、説いています。
では、文字にして具体的に説明できないのであれば、どのように禅宗では教えを伝えればよいのでしょうか。
「坐禅するしかない!」
となるのです・・・
自分で同じ体験をするしか方法はない!!
と説くのです。
「パセリの味を伝えるためには、パセリを食べさせるしかない!」という結論に至った二人の娘を見ながら、不立文字という言葉を思い出しました・・・
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