小学生と保育園児が一緒に坐禅をした現場で感じたこと 【その1】
先日、小学生と保育園児が一緒に坐禅をする現場に遭遇しました。
正確に言いますと、そのような現場を作り出してしまいました。
その現場で感じたことを紹介させていただきます。
その0 状況説明
その1 やっぱり 「まず坐れ」 は難しい
その2 人は忘れる 年齢は関係ない 習慣の大切さ
その3 疑問を感じることができるのは成長した証拠!? 疑問は悟り
この記事は、【その1:やっぱり 「まず坐れ」は難しい】です。
※過去の記事は上記の題名をクリックしていただければご覧いただけます。

前回の記事で書いたように、小学生がお寺に来てくれたのですが、同時に保育園児が坐禅体験にやってきてしまいました。
小学生は30分程お寺で過ごすことになっていたので、私なりに説明などの時間配分やお土産になる東光寺特製絵葉書などを用意していました。
予定としては
・挨拶
・東光寺の説明(禅宗のお寺で坐禅を大切にしていることも伝える)
・坐禅体験(短時間)
・お参り
・質疑応答
と考えていました。
・・・ところが、保育園児と一緒になったので
実際には
・とりあえず坐禅体験
・お参り
・保育園児と一緒に質疑応答
となってしまいました。
以前も記事の中で
昔から、禅宗のお寺に悩みを相談に行くと、何も答えてもらえず 和尚に「とりあえず、坐れ」 「まず 坐禅しろ」とだけ言われて坐禅をさせられる。
と書いたことがあります。※記事はこちらです。
その中で書いたように、この言葉には
「禅の教えは言葉では言い表すことができないが、あなたの悩みや苦しみは自分自身が作り出しているのではないでしょうか。その悩みを解決するためには、まず自分自身の心を調えることが大切です。自分自身の心を見つめ直し、その心を見出すためにこれまでの禅宗の僧侶は坐ること・坐禅を大切にしてきました。
ですから、あなたも悩みを解決したいと本気で考えるのならば、とりあえず坐って身体と呼吸と心を調えてみませんか。」
という意味があります。
今回、小学生達に私はこの言葉をかけることなく、“とりあえず坐禅体験”に突入してしまったのです。
素直な小学生達でしたので嫌な顔をすることなく坐ってくれましたが、戸惑っていたことは間違いありません。

「あれ!?」という表情で坐禅をしている小学生の姿と、これまで多くの説明と16回の実践を重ねてきた保育園児が堂々と坐禅をしている姿を見て、やっぱり「まず坐れ」は難しい・・・と感じました。
丁寧な説明を受けることが当たり前になった現代では「まず坐れ・とりあえず坐禅」というやり方では大切なことを伝えることは難しく、言葉による説明の後、実際に体験することで、言葉を超えた世界があることを少しでも垣間見てもらうことも大切だと実感した合同坐禅体験でした・・・
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