これが仏の心か!? ・・・ほんの一瞬だけ
今年の東光寺(静岡市清水区横砂)の開山忌という法要中に事件が起きました!
開山忌とは、そのお寺の最初の和尚様の法事です。
この開山忌の法要の際には丁寧にお茶やお菓子、お膳などのお供え物をします。
※開山忌については、こちらに記事で紹介をしています。
東光寺では住職が法要の中心となる導師を務め、私(副住職が)導師の補佐役をします。
事件はお参りに来て下さっている多くの檀信徒の前で丁寧にお菓子をお供えしようとしたときに起こりました。

本来ならば
1.お供えするお菓子を補佐役の私が導師にお菓子を渡す
2.導師がお菓子を香で薫じる。
3.お菓子を補佐役が受け取り、お供えする場所に運ぶ。
4.お菓子をお供えする
といった順番でお菓子は供えられます。
しかし・・・
この剥き出しのお菓子が・・・
お菓子の器から飛び降りてしまったのです!!
しかも、全員が見ている場面で!!!
私はとっさに(意識することなく)手が出ました。
そして、地面に落ちる直前にしっかりとキャッチすることができました!!
その次の瞬間、法要に出席してくださっている檀信徒から
「お~!!」
という歓声が聞こえてきました。
すると、私の心の中に
「俺、すごい!! よくやった、ナイスキャッチ!!」
という 自分自身の声が聞こえてきました。
仏教では、
「誰もが生まれたときら尊い心(仏の心)をいただいている」
と説いています。しかし、
「この尊い心(仏の心)は煩悩や迷いの心によって見えなくなる。」
とも説いています。
お菓子が落ちそうになったとき、意識することなく手が出す行為は、“誰もが生まれたときらいただいている仏の心”の働きなのです。
それに対して、「おー」という歓声とお菓子を受け止めることができた喜びで「俺、すごい!! よくやった、ナイスキャッチ!!」と感じることは仏の心から離れた世界なのです。
つまり、
お菓子が落ちた瞬間から受け止めるまでの1秒に満たないわずかな時間だけ仏の心でいられたと言ことになるのです・・・
まだまだ修行が足りません・・・
開山忌とは、そのお寺の最初の和尚様の法事です。
この開山忌の法要の際には丁寧にお茶やお菓子、お膳などのお供え物をします。
※開山忌については、こちらに記事で紹介をしています。
東光寺では住職が法要の中心となる導師を務め、私(副住職が)導師の補佐役をします。
事件はお参りに来て下さっている多くの檀信徒の前で丁寧にお菓子をお供えしようとしたときに起こりました。

本来ならば
1.お供えするお菓子を補佐役の私が導師にお菓子を渡す
2.導師がお菓子を香で薫じる。
3.お菓子を補佐役が受け取り、お供えする場所に運ぶ。
4.お菓子をお供えする
といった順番でお菓子は供えられます。
しかし・・・
この剥き出しのお菓子が・・・
お菓子の器から飛び降りてしまったのです!!
しかも、全員が見ている場面で!!!
私はとっさに(意識することなく)手が出ました。
そして、地面に落ちる直前にしっかりとキャッチすることができました!!
その次の瞬間、法要に出席してくださっている檀信徒から
「お~!!」
という歓声が聞こえてきました。
すると、私の心の中に
「俺、すごい!! よくやった、ナイスキャッチ!!」
という 自分自身の声が聞こえてきました。
仏教では、
「誰もが生まれたときら尊い心(仏の心)をいただいている」
と説いています。しかし、
「この尊い心(仏の心)は煩悩や迷いの心によって見えなくなる。」
とも説いています。
お菓子が落ちそうになったとき、意識することなく手が出す行為は、“誰もが生まれたときらいただいている仏の心”の働きなのです。
それに対して、「おー」という歓声とお菓子を受け止めることができた喜びで「俺、すごい!! よくやった、ナイスキャッチ!!」と感じることは仏の心から離れた世界なのです。
つまり、
お菓子が落ちた瞬間から受け止めるまでの1秒に満たないわずかな時間だけ仏の心でいられたと言ことになるのです・・・
まだまだ修行が足りません・・・
- 関連記事
-
- 小学生と保育園児が一緒に坐禅をした現場で感じたこと 【その1】 (2019/07/04)
- 小学生と保育園児が一緒に坐禅をした現場で感じたこと 【その0】 (2019/07/03)
- これが仏の心か!? ・・・ほんの一瞬だけ (2019/07/02)
- 絡子【らくす】の裏に書かれた文字に学ぶ (2019/06/29)
- 中国からの参拝者 (2019/06/25)