自分と他人の境界線

自分とは何か?

“自分”がいれば“他人”がいる

私達は自分と他人の間に壁を作り区別することができる。

自分の周囲に他人がたくさんいれば、“自分”を囲むように壁を作って“自分”を形作る。

多くの他人に囲まれていれば、自分を守るために壁を厚くしていく。これで自分を守ることができる。

しかし、一口に他人と言っても、いろいろな他人がいる。子供、父母、兄弟、友人、仲間、親戚・・・・

「自分と子供は一心同体」と言う人もいる。

そういった人は“自分”の中に子供がいる。

“自分”を囲む壁をどこに作るかは、個人個人に任さられている。

子供と友人の外側に壁を作れば、その内側にいる子供と友人が“自分”だ。
私はこの壁はいくらでも伸び縮みする高性能なゴムのようなものだと考えている。

様々な経験をすることによって、ゴムを伸ばすように心の壁を広げていくことができる。
子供ができれば、多くの経験や努力が必要になってくる。
その経験や努力によって、心の壁は柔らかくなり子供の外側にまで壁が広がる。

同様に様々な努力をすることで、心の壁はいくらでも広がっていく。

広がれば広がるだけ、他人と思っていた多くの人が“自分”になっていく。
妙心寺派の教えである生活信条に
人間の尊さにめざめ 自分の生活も他人の生活も大切にしましょう
と、あります。
自分を大切にすることができる人は、自分と同じように他人を大切にすることができ、
他人を大切にすることができる人は、他人と同じように自分を大切にすることができます。
つまり、全ての人を“自分”と思えるようになることこそが、自分の生活も他人の生活も大切することになります。
そして、そのために私達は何をしなくてはいけないのかが、
わが身をこのまま空なりと観じて、静かに坐りましょう
衆生は本来仏なりと信じて、拝んでゆきましょう
社会を心の花園と念じて、和やかに生きましょう
という妙心寺派の教えである信心のことばだと私は考えています。