自由自在な“あやとり”
禅ことについて書かれた書物を読んでいると“自由”という言葉がよく出てきます。
1つのことに執着せず、物事の自然の成り行きにまかせて、ゆったり無心に、淡々と、自由に生きよ、と禅はわれわれに教えているのだ。
と言った内容をよく見ます。
「自由」 「自由自在」 言葉の響きは素晴らしいのですが、私には具体的な姿が想像できていませんでした。
しかし、ある時
「もしかしたら、これが自由というものかもしれない」
と感じたことがありました。

それは、小学生の娘が“あやとり”に夢中になっている姿を見たときのことです。
楽しそうに輪になったひもで遊んでいる姿を見ていると、驚かされます。
1本の紐が自由自在に姿を変えていくのです。
ホウキになったり、カメになったり、茶碗にもなるし、定規にもなる。
しかし、次の瞬間には元の輪になっている。
“ゆったり無心に、淡々と、自由に生きよ、と禅はわれわれに教えているのだ”
自由に生きることは自分勝手に生きることではありません。
私はこの違いを
自由に生きることは もとの場所に帰ることができることであり、
自分勝手に生きることは もとの場所に帰ることができないこと
だと考えています。
自由自在に姿を変えながらも、もとの1つの輪の姿に帰ってくる “あやとり”の姿と“自由に生きる姿”が重なって見えた気がします。
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