保育園児の坐禅体験 【年長組】 第3回

東光寺(静岡市清水区横砂)の境内にある袖師保育園の園児達は毎月お寺に坐禅をするためにやってきます。
年長組の園児は、今年度に入って3回目の坐禅体験です。
と言っても、彼らは年中組で1年間坐禅体験に通ったベテランさん達です。合計すると15回目の坐禅体験です。
本堂への入り方、坐禅の座り方、お参り、お寺でのお茶の飲み方など一通りのことは覚えています。
つまり、慣れてきた頃です。
慣れてくれば余分な緊張感はなくなりゆったりとした気持ちで坐禅ができるようになってきます。
しかし、慣れてくれば緊張感がなくなりすぎて少しダラダラとしてしまうのも事実です。
そのため、この時期には“襟に縫い付けた宝石”の話しをしています。

教聖典にも書かれている話です。短く要点をまとめると
貧しい友人を心配した男が、友人が寝ている間に服の襟に宝石を縫いつけたて旅に出た。
友人は宝石に気が付かず貧しいまま過ごしていたが、久しぶりに男に再会し襟に宝石があることを教えてもらった。
という話であり、
誰もが大切な仏様の心(宝石)を持っており、その心は汚れることがない
と言うことを説く話です。

以下、その際の園児との会話です。
私
「宝石があるのに使わないなんてもったいないね。」
園児
「うん!」
私
「宝石があればごはんも食べられるし、服も着られるね。」
園児
「うん、うん!」
私
「せっかく友達が宝石をくれたのに、なんで使わなかったのかな?」
園児
「気がつかなかったから!」
私
「どうしたら気がつけるかな?」
園児
「よく見る!」
私
「よく見ればいいよね。じゃぁよく見なかったのは誰が悪い?」
園児
「見なかった人!」
私
「そうだよね! みんなは気がついていますか?宝石をもらったのに気がつかないで生活していた貧しい男っていうのは私や君たちのことなんだよ!
園児
「・・・・え!? ・・・・???」
さっきまで楽しく答えていた園児達は黙ってしまいますが、私は続けます。
私
「貧しい男は宝石に気がつかなかった。この宝石っていうのはみんなが持っている“すんごくきれいな心”のことです。
みんなは“すんごくきれいな心”を貰って生まれてきたのに、そのことに気がつかなかったり忘れたりしてしまいます。
もったいないよねっていうことを2500年前のお釈迦様がみんなに教えてくれているんだよ!」
私
「みんなは年長組だよね。出来ることはいっぱいある。できるのにやらないのはもったいないよね。先生の話を聞くときには先生の方を見て話を聞けるね?」
園児
「できるよ!」
私
「じゃあ、先生が話をしてくれているのによそ見をしていてもいい?」
園児
「だめ!」
私
「そうだよね、みんなは坐禅の座り方とかお参りの仕方を覚えたよね。もうできるよね?」
園児
「できるよ!!」
私
「坐禅ができるのに、しっかり座らないでキョロキョロしていたらもったいないよね!」
園児
「うん!」
私
「できることを一生懸命やることは大事だね。ここにきて坐禅やお参り、お茶を姿勢よく飲むことを一生懸命することも大事です。
さっきの話しだと、襟に縫い付けた宝石は気がつけなかったけど、見えるところに縫い付ければ気がつくことができるよね。
みんなが一生懸命坐禅をすることは、見えにくい宝石を見つけやすい所に縫い付ることなんだよ。
だから坐禅などを一生懸命続けて みんなの宝石のような“すんごくきれいな心”が丸見えになるようにがんばってください!」
園児
「は~い!」
年長組 第3回目の坐禅体験では
・誰もが大切な仏様のような尊い心(宝石)を持っている
ということを学んでいってくれればうれしいです。
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