この子は仏さんの子供かしら
ある日、遊びに来た孫の面倒をみた女性が私に質問をしました。
「和尚さん、この子は誰が教えたわけでもないのに仏壇に手を合わせるんだよ。自分から仏壇の前に行って手を合わせてお参りをするんだよ。 この子は仏さんの子供かしら!?」
未熟な私にも自信を持って答えることができました。
「そうですね!仏様そのものですね!!」
東光寺(静岡市清水区横砂)の境内にある袖師保育園の園児は毎朝
われらは 仏のこどもなり
うれしい時も 悲しい時も
御親(みおや)の袖に すがりなん
われらは 仏のこどもなり
幼い時も 老いたる時も
御親に変わらず 仕えなん
と歌っています。
辞書で「御親」と調べると
“親や先祖を敬っていう語”
と書いてあります。
この歌で親や先祖とは、私達の親でありお先祖様である仏様のことを表しています。
私達は誰もが仏の子供であり、私達は誰もが誰かの親になる可能性があるので私達自身も仏なのだとこの歌は説いてくれているように感じます。
ところが、私達は普段の生活の中で そのことを忘れてしまい“私の子供” “私の孫” “あそこの家の子” など、個別に名前を付けて区別してしまいがちです。
しかし、素直に手を合わせる孫の姿を見て
「この子は仏さんの子供かしら」
と感じる女性自身がすでに仏であり、そのお孫さんも間違いなく仏の子供だと感じました。
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