葬儀・葬式シリーズ 【3】 通夜とは
この記事は東光寺(静岡市清水区横砂)で行われて子供坐禅会で私が話した内容をまとめたものです。

葬儀・葬式シリーズ 【3】 通夜とは
真っ暗は怖くない
小さな子供と一緒にお参りにやってきた女性が、
「この子はいつも寝るときに電気を消そうとすると泣いて嫌がるのに、こないだの誕生日の時はみんながまだ誕生日の歌を歌っているときにロウソクを吹き消して真っ暗になっちゃったんですよ。」
と言うのです。そこで、私は子供に質問をしました。
「なぜ、真っ暗になることが分かっていても消すことができるの。怖くはないの。」
すると子供は、
「ロウソクが消えてもすぐに誰かが電気をつけてくれるでしょ」
と答えたのです。
私はこの話を聞いたとき、暗い場所が嫌いな子供も、ずーっと暗いから怖いのであって、ぱっと明るくなれば笑顔があると信じきるからロウソクの炎を消すことができるのだと思いました。
初めてのお通夜
現在もお葬式の前日の夜にお通夜を行っています。
これは、お釈迦様が亡くなられたとき、弟子の阿那律【あなりつ】が「悲しむことなかれ」と、明け方まで仏様が亡くなるまで説き続けた教えを話されたことが由来です。お葬式の前夜に弟子たちが最後の一晩を通して、お釈迦様の教えを伝えあいながら過ごしたことから通夜と言われています。
では、なぜ弟子たちはお釈迦様の教えを伝えあったのでしょうか。それは、お釈迦様が亡くなる前に言った
「吾が色身を見るものは、吾れを見るものにあらず、さとりに目覚むるものこそ、 常に吾を見るものなり。」
という言葉を守ったからなのです。今の言葉にすると
「目に見える私の肉体が大切なのではなく、目には見えないが教えこそが大切なのです。」
となります。
目の前が真っ暗になる
大切な人が亡くなると、残された人は深い悲しみに襲われます。
「目の前が真っ暗になる」
とも表現されません。しかし、お釈迦様は「目に見える私の肉体が大切なのではなく、目には見えないが教えこそが大切なのです。」と説いています。この教えこそが真っ暗になった世界を照らしてくれる光になるのです。
大切な人を失えば、誰でも目の前が真っ暗にはなります。
しかし、小さな子供が「ロウソクが消えてもすぐに誰かが電気をつけてくれるでしょ」と言ったように、大切な人が残してくれたものが私達の心にあれば、電気をつけるように私達の心を明るく照らしてくれるのです。
だからこそ、今でも大切な人が亡くなったときにお通夜をすることによって、残された私達は亡くなった方のことを考える時間を作っているのです。
最近はお通夜なんか面倒だからいらいよ! と言う人もいます。しかし、お通夜という亡くなった人のことを考える時間を持つことは、これから生きていく私達にとって、とても大切なことなのです。
これから、皆さんも生きていく中で何度もお通夜に参加することでしょう。そのときは、面倒くさいなんて考えず、亡くなった人に何を教えてもらったのかを真剣に思い出す時間にしてください!
今回は
お通夜とは、亡くなった人に教えてもらったことを真剣に思い出す時間であり、教えてもらったことは、これから生きていく私達を暗闇から助けてくれる光になる
と覚えてもらえればうれしいです。
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