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一寸坐れば 一寸の仏 は 今を生きる言葉




東光寺(静岡市清水区横砂)の子供坐禅会に3回参加すると“坐禅手帳”を手に入れることができます。






600坐禅手帳原稿 表紙





お経や坐禅の説明、仏教豆知識シールを貼ったりメモを書くことができるページで構成されている東光寺オリジナルの坐禅手帳です。



600坐禅手帳原稿 裏表紙




この坐禅手帳の裏表紙に一寸坐れば 一寸の仏【いっすんすわれば いっすんのほとけ】 という言葉が書いてあります。




600坐禅手帳原稿 裏表紙2


「坐る」は坐禅を表し、一寸とは線香が一寸(3㎝)燃える時間のことです。短い間でも、坐禅をして心を調えれば その間は元々生まれたときから頂いている仏様のような尊い心になる。





という意味です。ですから、





一寸坐れば 一寸の仏

一日坐れば 一日の仏

一年坐れば 一年の仏





という言う方もいます。

しかし「一寸坐れば 一寸の仏」は坐った時間と仏になる時間が比例していることだけを表した言葉ではありません。

では 一寸坐れば 一寸の仏 という言葉は私達に何を教えてくれているのでしょうか。






一寸坐れば 一寸の仏の“一寸”を短くしていくと

一分坐れば 一分の仏

一秒坐れば 一秒の仏

0.1秒坐れば 0.1秒の仏








どんなに短い時間でも 坐禅をして心を調えることで 自分の仏の心を実感することができるのです。


ですから、私はこの“一寸坐れば 一寸の仏”という言葉は 「この瞬間、“今”を大切にしろ!」と伝えてくれているように感じます。




この瞬間を大切にすることで、今この瞬間に仏となる。




そして、今この瞬間を積み重ねていくことで 常に仏の心が前面に出ることに気がつきなさい。と伝えてくれているように感じます。

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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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