変われる自分と 変えられない他人

調べ物をしていてお寺にあった古い本を読んでいると ある和尚様の言葉を思い出します。
その和尚様は、自分が生活をしているお寺に大量の本があることに不満を感じていたそうです。
これらの本は、歴代の御住職方がそろえていった本だそうです。
若かった和尚様は部屋を占拠する本を見て「こんな本をいつか捨てて、部屋を広々使ってやる!」と感じていたそうです。
しかし、この和尚様自身が布教のための勉強を熱心にするようになった頃、本が積まれた部屋に入ったときに「これまでゴミの山だと思っていたが、この大量の本は宝の山だ!」と感じたそうです。
本は昔から本であり、内容も変わっていません。 しかしゴミから宝になりました。
本がゴミから宝に変化したのはなく、「自分」が変化したのです。
以前、私は内臓の病気で入院したことがありました。
食事は許されず、点滴で栄養を体内に流し込んでいました。
ある程度治療が進んだとき、久しぶりに食事をとってよいと許可が出ました。
提供された食事は 薄~いお粥でした。
健康的なときには薄いと感じるお粥でしたが、1週間ぶりの食事と言うこともあって薄~いはずのお粥が本当においしかったことをよく覚えています。
これも、お粥が変化したわけではありません。
「自分」が変化をしたのです。
他人を変えることできません。しかし、自分を変えることはできます。
調べ物のためにたまたま手に取った本の一節に、下記の子供向けの言葉がありました。
ほとけさまのいましえ
むさぼり
この世界の あらゆるものが
みんなお金になったとしても
人はそれでも満足しない
このかぎりない 慾のこころに
人のくるしみの もとがあるのだ
自分が満足し幸せになるためには、
外にある“あらゆるもの”が変化しても意味はなく、自分自身が変化しなくてはいけにことを表してくれています。
自分自身を変えていくことの大切さを改めて感じます。
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