自分のものを捨てる
仕事が終わった時、机の上には何もない

そんな生活を20年程続けています。
机の上に何もないとすっきりとするし、次の日も気持ちよく仕事を始めることができます。
この習慣は大学4年から3年間お世話になった研究室で身につきました。
理系の大学で、いわゆる「実験系」と呼ばれる研究室でしたが、厳しく指導されたのは学術的なことよりも、実験結果に直結する「整理・整頓・洗い物」だったように記憶しています。
中学校の教員になったときも、職場に毎日机をきれいにして“マイ布巾”で拭いてから帰る先輩がいたため、この習慣を続けることができました。
しかし、「机の上がきれいだと気持ちがいい」という感情はときに暴走を始めることがあります。
机の上をきれいに保ちたい
↓
机を汚すものが許せない
↓
ものを捨ててしまえ!!
この暴走によって必要なものまで捨ててしまったこともありました・・・
最近は「断捨離」という言葉が流行し、世間に「ものを捨てることがすばらしい!」という流れがあることを実感しています。
自分のものを捨てるんだから何が悪いの!?
私もそう考えていました。
しかし、どんなにものを捨ててもモヤモヤした感情があることがあります。
先日 漫画家・イラストレーターのみうらじゅんさんの記事を読んで「自分のものを捨てる」という概念が変わったように感じます。
対談の中で みうらじゅん さんは
ぼくはたいへんな数の要らないものと暮らしています。人が来たときに「わぁ!」と喜んでもらうために置いているのです。それだけのためにこうして、家を借りてるわけですよ。
と語っていました。
みうらさんも 「自分のもの」を捨てていたのです。
私は「自分のもの」の「もの」を捨て、
みうらさんは 「自分のもの」の「自分の」を捨てていたのです。
自分のためではなく、「自分の」という概念を捨てて来た人に喜んでもらうために“もの”があるのです。
現在は多くのものがあふれています。
モノを捨てればすっきりします。
しかし、モノを捨てることに喜びを感じても、本当にこれで良かったのか悩むことがあります。
それはモノを全てゴミに変えることが良いことだと思えないからです。
モノを生かし切れていない自分に気がついているからこそ、モヤモヤを感じるのです。
そんなときにこそ大切なのが「自分の」という考えを捨てることなのです。
「自分の」という概念をなくし、目の前にあるものをどのように生かしていくかを考えることこそが、本当に大切な「捨てる」ということだと感じます。

そんな生活を20年程続けています。
机の上に何もないとすっきりとするし、次の日も気持ちよく仕事を始めることができます。
この習慣は大学4年から3年間お世話になった研究室で身につきました。
理系の大学で、いわゆる「実験系」と呼ばれる研究室でしたが、厳しく指導されたのは学術的なことよりも、実験結果に直結する「整理・整頓・洗い物」だったように記憶しています。
中学校の教員になったときも、職場に毎日机をきれいにして“マイ布巾”で拭いてから帰る先輩がいたため、この習慣を続けることができました。
しかし、「机の上がきれいだと気持ちがいい」という感情はときに暴走を始めることがあります。
机の上をきれいに保ちたい
↓
机を汚すものが許せない
↓
ものを捨ててしまえ!!
この暴走によって必要なものまで捨ててしまったこともありました・・・
最近は「断捨離」という言葉が流行し、世間に「ものを捨てることがすばらしい!」という流れがあることを実感しています。
自分のものを捨てるんだから何が悪いの!?
私もそう考えていました。
しかし、どんなにものを捨ててもモヤモヤした感情があることがあります。
先日 漫画家・イラストレーターのみうらじゅんさんの記事を読んで「自分のものを捨てる」という概念が変わったように感じます。
対談の中で みうらじゅん さんは
ぼくはたいへんな数の要らないものと暮らしています。人が来たときに「わぁ!」と喜んでもらうために置いているのです。それだけのためにこうして、家を借りてるわけですよ。
と語っていました。
みうらさんも 「自分のもの」を捨てていたのです。
私は「自分のもの」の「もの」を捨て、
みうらさんは 「自分のもの」の「自分の」を捨てていたのです。
自分のためではなく、「自分の」という概念を捨てて来た人に喜んでもらうために“もの”があるのです。
現在は多くのものがあふれています。
モノを捨てればすっきりします。
しかし、モノを捨てることに喜びを感じても、本当にこれで良かったのか悩むことがあります。
それはモノを全てゴミに変えることが良いことだと思えないからです。
モノを生かし切れていない自分に気がついているからこそ、モヤモヤを感じるのです。
そんなときにこそ大切なのが「自分の」という考えを捨てることなのです。
「自分の」という概念をなくし、目の前にあるものをどのように生かしていくかを考えることこそが、本当に大切な「捨てる」ということだと感じます。
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