捨てる と 生かしきる その6 【徹底的な基礎基本】
これまで 捨てること と 生かしきること についていくつかの記事を書かせていただきました。
捨てる と 生かしきる その1 【鉄拳の話し】
捨てる と 生かしきる その2 【亡くなった方を生かしきる】
捨てる と 生かしきる その3 【落ちている木の棒】
捨てる と 生かしきる その4 【備え付けの家具】
捨てる と 生かしきる その5 【合掌の心】
興味のある方は是非御一読ください。
今回は 「正岡子規の俳句ができるまで」話です。

先日、大変有難い御縁をいただき正岡子規の「子規記念博物館」へ行くことができました。
正岡子規は日本を代表する俳人です。
俳句や短歌など多方面で創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治時代を代表する文学者の一人です。
正岡子規は多くの句を残していますし、その味わい深い句を多くの先輩方(和尚様方)が仏教の教えを伝える際に引用をしています。
その影響で、私も正岡子規の句を勉強したいと感じるようになりました。
仏教では物事を「良いが悪い」、「価値がある、ない」、「正しい、間違っている」など2つに分けることを分別【ふんべつ】といって嫌います。
私は勝手に、多くの和尚様方に句が引用させる正岡子規は分別とは無縁の方で、多くのことを勉強して素晴らしい句を残してくださったと思っていました。
しかし、子規記念博物館を見ていたときに驚きの言葉を目にしました。
子規は、自分が俳句に熱心になったのは「俳句分類」の作業だったと語っています。
子規が「俳句分類」に着手したのは明治22年ごろのことでした。室町時代から江戸時代にかけての古俳句を季語、事物、形式によって分類したもので、およそ10年間にわたって続けられ、積み重ねられた原稿は背の高さをこえるほどでした。
よい俳句を作り出すための見識を養い、俳句革新の大事業をなしとげるための大切な基盤となりました。
と書いてあったのです。
徹底的に分類という作業を繰り返すことで大切な基盤を子規は作ったのです。
「仏教で分別を嫌う」と聞くと私のような未熟者は、「分別をしてはいけない!」と思い込んでしまいます。
さらに、自分自身の経験やこれまでに「分別」をしてきたこと、「分類」をしてきたことまで否定してしまいそうになります。
過去の自分を捨てようとしてしまうのです。
しかし、正岡子規はそうではなかったのです。
俳句分類という過去を捨てることなく 生かしきったからこそ、多くの僧侶が感動し引用するほどに仏教の教えに通じる句(言葉)を残すことができたのだと思います。
「過去を捨てるのではなく、生かしきる」ことの大切さと、生かしきるための多くの努力をしていかなければならないことを子規記念博物館で感じることができました。
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