捨てる と 生かしきる その5 【合掌の心】
これまで 捨てること と 生かしきること についていくつかの記事を書かせていただきました。
捨てる と 生かしきる その1 【鉄拳の話し】
捨てる と 生かしきる その2 【亡くなった方を生かしきる】
捨てる と 生かしきる その3 【落ちている木の棒】
捨てる と 生かしきる その4 【備え付けの家具】
興味のある方は是非御一読ください。

合掌の心の表す言葉に
右仏 左衆生と 拝む手の 中ぞゆかしき 南無の一声
というものがあります。
手を合わせると、すでに頂いて私達の中にある仏の心と一つになり、敬いの心である「南無」という気持ちが自然に湧いてくるものです。
という意味です。
右仏 左凡夫 【みぎほとけ ひだりぼんぷ】
と書かれていることもありますが、どちらにしても
右手が仏 左手が煩悩や迷いがある私達を表しており、これを合わせることの大切さを教えてくれています。
この言葉を聞いて
右手は尊い仏様、左手は煩悩があるからダメな手だ。よし、左手を切り落としてしまえ!!
とはなりません。
どちらかだけを大切にするのではない。
どちらかだけを排除するのでも無い。
右手も左手もお互いが支えあう合掌の姿こそが尊いのです。
この合掌の姿そのものが、すべてを生かしきる姿なのだと思います。
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