捨てる と 生かしきる その4 【備え付けの家具】

臨済録
三界は今説法を聴いている君たちの心を離れては存在しないのだ。君たちの一念の貪りの心が欲界であり、君たちの一念の嗔りの心が色界であり、君たちの一念の愚痴の心が無色界である。これらは君たちの家にそなえ付けの家具である。
※三界とは私達の心にある欲望のことです。
訳
君たちは三界がどんな処か知りたいか。それは今説法を聴いている君たちの心を離れては存在しないのだ。これらは君たちの家のそなえ付けの家具である。
東光寺(静岡市清水区横砂)は臨済宗、禅宗のお寺ですので禅の教えをとても大切にしています。
その禅の教えを学ぶ際に必ず目にすることになるのが臨済録【りんざいろく】という書物です。
臨済宗の最初の和尚様は、臨済義玄禅師【りんざいぎげん ぜんじ】です。臨済禅師は約1200年前の中国の僧侶であり、お釈迦様より数えて38代目の和尚様です。
臨済禅師は御弟子様達を大変厳しく指導されました。その臨済禅師の教えを弟子が編集したものが臨済宗では最も大切な語録とも言われる臨済録です。
その中に先ほどの一文があります。
私達の欲望は私達の心から出てくる。
それは、備え付けの家具のようなものだ。
というのです。
私達が普段生活をしている家を思い出してみれば、掃除をしようと思って備え付けの家具を捨てようとする人はいません。ちりやほこりは掃除しますが、押入れを解体してしまってはまともに生活することはできません。
私達の心も同じなのです。心を調えようと思ったとき、良い心と悪い心に分類し悪い心を捨てようとしてします。しかし、備え付けの家具を捨てることができないように、悪い心だけを捨てることなどできないのです。
ある和尚様も著書の中で
私たちは、たしかにどろどろの真っ黒な煩悩(心身を悩ませる無数の精神作用)を持っていますが、その中にも、人間を人間たらしめる純粋な人間性が埋(うず)みこめられているのです。
と説かれています。
これらの教えに触れたとき
捨てること と 生かしきること の違いと難しさを痛感しましたが、生かしきることを目指してみたいとも感じました。
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