何が正しいのか 判断をするのは 結局自分
病院や薬局、銀行などの待合室には様々な雑誌が置いてあります。
時間があるときに、普段の自分では読まないよう雑誌に手が伸びることがあります。
先日、普段は自分では買わない雑誌を手にすることありました。

表紙は ”もう収納に悩まない!”と書いてあります。

どんなことが書いてあるのかと読んでいると,、収納に関して
「増え続ける子供の思い出は見せる収納で暮らしの一部に」
と書いてあるのです。
・・・ところが、ページをめくると次のページに収納に関する別の記事がありました。
そこには驚くべきことが書いてあったのです。

「見せる収納をやめる」
同じ冊子なのにページによって書いてあることが違います。
でも、これらの記事を読んで
「違うことが書いてある、けしからん!!」
とは、なりません。それぞれの記事が 書いた本人が真剣に出した答えなのです。
どちらが正しいのか!?
ではなく
どちらも正しい。
と思える心が大切だと感じます。
仏教(禅)では分別を「おもいこみ」や「こだわり」と考え、分別を無くした生き方である「無分別」を大切にしています。
どちらかを「正しい」と感じているときは 反対を「正しくない」と比べてしまっているのです。
それよりも分別することなく「どちらも正しい! 」と感じられる心が美しいように感じます。
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