自分の子供は誰ですか。

娘の通う小学校の音楽会へ行ってきました。
ビデオカメラも持参しました。
三脚も準備しました。
三脚を使っての撮影は後方と指定されたはいるものの許されます。
そこで、後方で撮影をしたのですが・・・
まー、周囲がうるさい!!
少し離れた、ドア付近で大人がべちゃくちゃべちゃくちゃ・・・
後方なのでドアの外の声がよく聞こえます
自分の孫や子供が出ていないときに べちゃくちゃべちゃくちゃ・・・
自分の孫や子供が登場すると静かに、そして真剣に鑑賞します。
帰宅して映像を子供達と見ると、予想通り小学生の歌声に 「べちゃくちゃ・・・」という音がしっかりと入っていました。
私は昭和の禅僧 山田無文老師の
「電車に乗っていて、これは自分の電車だと思うなら、紙屑一つ落とせんはずです。公園も俺のものだと思ったら、花一本折ることもできないでしょう。京都を俺の街だと思うなら、京都を愛さずにはいられません。それぞれの街を自分の故郷と思えるなら、その土地を愛さずにはいられません。日本は俺の国だと思ったら、日本を愛し大切にせずにはいられんはずです。そのように、すべてが自分だと思い、そこに愛情をもっていくならば、間違ったことなどできん」
という言葉が大好きです。
大切なのは「すべてが自分」 だと感じます。
会場にいるすべての保護者が自分なのです。
舞台でがんばっているすべての児童が 自分の子供なのです。
そのように感じ 愛情をもっていくならば 間違ったことはできません。
会場にいる人は 誰でも 自分の孫や子供が登場すると静かに、そして真剣に鑑賞することができます。
「自分」の範囲を狭くすれば 間違った行動をとってしまう。
「自分」を広げれば広げるほど 間違ったことなどできないのです。
今回の音楽会では「自分」の範囲を広げていくことの大切さを教わった気がします。
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