便利が当たり前になると感謝を忘れる

本堂の畳を掃除するときに掃除機を使います。
「え、お寺ならホウキじゃないの?」
と思うかもしれませんね。
本来は ホウキ→雑巾なのはわかっているのですが・・・
私は掃除機を使います。
最近は充電式の掃除機を使っています。
以前はコードのついた掃除機を主に使っていましたが、そのときは電源からの距離なども気にしていました。
そう考えると、充電式は便利です。
電源を意識せずにどこでも自由に使え、それなりの吸引力もある。
ありがたいことです。
しかし、先日誰かが掃除機を使って充電をせずに放置していることがありました。
私が使おうと思って電源を入れると・・・
「ふおーん・・・」
いつもなら
「ぶおーーーーーーーん」
と大きな音と共に掃除をしてくれるのに、この日は力がありません。
「これだから充電式は困るんだよ!」
と怒りがこみ上げてきました・・・
そのとき、
便利が当たり前になると感謝を忘れる。
という言葉を思い出しました。
ホウキが掃除機になって便利になった。
さらに掃除機がコード式から充電式になってさらに便利になりました。
以前は便利になったことに喜びを感じていたはずです。
それなのに 「これだから充電式は困るんだよ!」と感じたとの私は 便利が当たり前になっていたのです。
充電式が当たり前。
充電されていて当たり前。
「ありがたい」という気持ちが「当たり前」になっていたため、「当たり前」ができていないことに腹をたててしまったのです。感謝を忘れていたのです。
便利が当たり前になると感謝を忘れる。
情けない自分の姿を的確に表した言葉です。そんな弱い私に 臨済宗妙心寺派の生活信条
生かされている自分を感謝し 報恩の行を積みましょう
という教えが心に突き刺さります。
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