私は、どんな子供(人)でも仏教聖典が説く「賢い人」になれると信じています。
数多くあるお経の中から、教えの大切な要素と例え話を選び、それらを日常のやさしいことばにかえて表現した仏教聖典の中にこのような教えがあります。
非常に気が早く怒りっぽい男がいた。
その男の家の前で、二人の人がうわさをした。
「ここの人は大変よい人だが、気の早いのと、怒りっぽいのが病である。」と。
その男は、これを聞くとすぐ家を飛び出してきて、二人の人におそいかかり、打つ、ける、なぐる乱暴をし、とうとう二人を傷つけてしまった。
賢い人は、自分の過ちを忠告されると、反省してあらためるが、愚かな者は、自分の過ちを指摘されると、あらためるどころか、かえって過ちを重ねるものである。
私は、どんな子供(人)でも仏教聖典が説く「賢い人」になれると信じています。

小学校2年生と4年生の娘が通知票をもらってきました。
今は「がんばろう」の評価が“○”なんですね。
ビックリしました。これがほめて伸ばすと言うことですか!?
私にはついていけません・・・
通知表には〇 ◎ そして「三重丸」が並んでいます。
もらってきた子供、通知表を見た私達夫婦の感想は全員一致で
「見にくい・分かりにくい」
でした。
△”や“×” なんて付けたら子供がやる気を失ってしまうと思っているのでしょうか。
もしも、そう感じて通知表の評価方法を変えたのなら、この通知表を作成した人は子供達(保護者も含めて)を「愚かな者」と感じているように思います。
愚かな者は、自分の過ちを指摘されると、あらためるどころか、かえって過ちを重ねるものである。
仏教聖典の例え話の中にもあるように、愚かな者は、自分の過ちを聞くとすぐ家を飛び出し相手を傷つけてしまいました。
通知表のシステム作成者は、評価した人(つまり担任等現場の先生方)が傷つけられないように配慮をしているのかもしれません。
しかし、「賢い人」は間違いを指摘されれば反省し改めます。
どんな子供(人)でも仏教聖典が説く「賢い人」だと信じるのならば、分かりやすく間違いを指摘することも大切なことのように感じます・・・
人は ほめられ続けて急に間違いを指摘されれば戸惑います。
適切な頻度で間違いを正しく指摘されることも大切です。
私は新しい通知表を見て
「自分の過ちを忠告されたとき、反省してあらためることができる人になって欲しい。
ほめられないと前に進めない人になって欲しくない。
そのために、我が家では出来ていないことはしっかりと、分かりやすく伝え、時には叱っていこう」
と心に誓いました。
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