葬儀(お葬式)で「喝!」と叫ぶ理由
臨済宗の葬儀では「かぁぁぁぁつ!!」と大きな声が聞こえてきます。
これを「一喝【いっかつ】する」と言います。
私は喝に関して・・・
一喝を初めてすることになり、お寺で練習をしているところを誰かに見られたら恥ずかしいと考え、車に乗って出かけ
「かぁぁぁぁつ!!」
と車の中で叫びながら近所をウロウロと走り回った和尚さんの話しが好きです。
この話を思い出すと、葬儀での一喝をどれだけ大切にしているものかと感じます。
先日のブログで「心に残っている葬儀での光景」と題して葬儀の一喝について記事を書きました。
そこで、
死者の今生への迷いを断ち切り、悟りの世界に導くために「喝!」と一喝する
と、紹介させていただきました。
※記事はこちらです。
では、「喝」とは何でしょうか。
普段から「喝を入れる」という言葉を耳にしたり使ったりすることがあると思います。
そのときは「叱る」や「励ます」という意味で使っていると思います。
しかし、本来の「喝」は少し意味が異なります。
禅では、教えの伝達を文字や経典にたよらず師匠から弟子へと直接伝えていくことを宗旨としています。言葉では伝えきれない部分を伝えることが喝なのです。
ですから、この「喝」は弟子に対して口をはさむ余地すら与えない力強いものであり、弟子を導き伝えるための大切な行為なのです。

現在の葬儀は
・亡くなった方とのお別れをする儀式(告別式)と
・亡くなった方が正式な仏教徒になるための儀式(授戒【じゅかい】)
が合わさった形になっています。
「喝」は葬儀の中でも正式な仏教徒になるための儀式である授戒で行われます。
仏教徒になるとは、お釈迦様のお弟子様になるということです。
しかし、お釈迦様に直接指導してもらい、導いていただくことは残念ながらできません。
そこで、お釈迦様の教えを受けた僧侶(導師)が師匠となり、亡くなった方を弟子とします。
その弟子を導くための大切な行為が「喝」なのです。
葬儀で「かぁぁぁぁつ!!」と聞こえたとき、決して怒っているのではありません。
深い心で亡くなった方を導いておりますので御安心ください・・・
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