私はブドウの芯になりたい 【その2】

お釈迦様が説いた教えを「お経」と言います。
数多くあるお経の中から、教えの大切な要素と例え話を選び、それらを日常のやさしいことばにかえて表現したのが仏教聖典です。
この仏教聖典の中に「老人を捨てる国」という話があります。
"昔、老人になった親を捨てる国があったが、どうしても親を捨てることができず、親を隠した男がいた。
あるとき国に大きな問題が発生し、秘かに隠した親に相談し問題が次々に解決された。
その後、この国では老人を大切にするようになった。"
といった話です。
私はこの話しにはいくつかのポイントがあるように感じています。
まずは、老人が解決をした問題です。
この話しで老人が解決する問題は、特別な力が必要なのではありません。
これまでに学んできたことや、経験したことを活かすことで問題を解決していきます。
そして、もう一つが老人の生き方です。
実は仏教聖典には
、「息子が老人を捨てることができず、深く大地に穴を掘ってそこに家を作り、そこに隠した」
と書いてあります。
老人は捨てられることを嫌がることがありません。
穴の中で暮らすことも嫌がりません。
老人は決して「私を大切にしなさい」と言いません。
しかし、息子や国が困っていれば 自分の力を惜しみなく使います。
そのような生き方をされています。
先日の記事で「私はブドウの芯になりたい。」と書きました。
木や根から受け取った水分や栄養をそのままブドウの実に送り続けながら実を支える姿に感動したためです。
※記事はこちらでご覧になれます。
「老人を捨てる国」の老人も、多くの先人の経験を受け止め、その知識や経験を 偉ぶることなく後世に伝え、子孫を支えています。
このような尊い生き方こそが「ブドウの芯」のような生き方であり目指すべき姿だと感じます。
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