「整える」 と 「調える」
以前このブログで「坐禅と座禅 【 ざぜん と ざぜん 】」と題して違いを紹介しました。
※記事はこちらです。
今回は「整える と 調える」の違いです。
東光寺(静岡市清水区横砂)は臨済宗妙心寺派のお寺です。
臨済宗妙心寺派の生活信条に
1日1度は静かに坐って 身と呼吸と心を調えましょう
とあります。このとき、

「調える【ととのえる】」と書きます。

「整える【ととのえる】」とは書きません。
一般的には「整える」と書くのかもしれません。
先日もテレビで子供坐禅会を取材していただいた際も、「整える」と表現していました。
新聞や雑誌で子供坐禅会を取り上げていただくときにも「整える」と書いてあることがほとんどです。
辞書で調べると
ととの・える[整える/調える]
と書いてあります・・・
「同じ意味なのか!?」
と思いましたが、漢字には意味があります。

「整」には「正」の字が入っています。ですから、
「形を正しくする。」
という意味がる言葉になります。

これに対して、「調」には
「まとめる」
という意味があります。
「整」の字が使われている言葉には
整理整頓や整地
「調」の字が使われている言葉には
調和 調理 調律
などがあります。
整地や整理整頓という言葉からは「型にはめる」や「分別をする」ということを連想できます。
調和や調理という言葉からは「受け入れてまとめる」ということを連想できます。
「心をととのえる」ときには
心を型にはめるのではありません。
良い心・悪い心に分別するのでもありません。
自分自身の心を全て受け止めていくのです。
良い心・悪い心と分別したくなりますが、全てが自分の心なのだと受け入れて、ひとつになることが「ととのえる」ことになるのです。
ですから 1日1度は静かに坐って 身と呼吸と心を調えましょう と、あるように
「調える」を使っているのです。
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