「めんどくさい」を調べてみた

東光寺(静岡市清水区横砂)で以前(かなり昔)配った布巾の言葉です。

毎日みがこう 心と佛だん
と、書いてあります。
東光寺は禅の教えを大切にする禅宗のお寺です。
禅宗では「坐禅」を大切にしますが、それ以外の掃除や食事などの日常も修行の一つとして大切にします。
昔から 「掃除をすることで自分の心が磨かれる」とよく言います。
しかし、いざ掃除をしようとすると、ついつい「めんどくさいな」と感じてしまいます。
そこで、「面倒くさい【めんどうくさい・めんどくさい】」という言葉に興味を持って辞書を引いてみました。
いかにも面倒に感じられる。わずらわしい。
と書いてあります。
そこで、「面倒」を調べてみると
手間がかかったり、解決が容易でなかったりして、わずらわしいこと。
とあるのです。
「めんどくさい」は煩わしい【わずらわしい】のです。
そこで、「わずらわしい」を調べてみれば
心を悩ましてうるさい。
と書いてあるのです。
と、いうことは
私達が「めんどくさい」と感じたとき、それは心が悩んでいるときと言っても良いのかもしれません。
昨日の記事で
「ゆったり坐って、ゆったり呼吸をすること(坐禅)で、心にたまった汚れを掃除していきましょう」
という言葉を紹介しました。
※記事はこちらです。
心にたまった汚れとは、心の悩みのことであり、「めんどくさい心」です。
もちろん心の掃除方法は坐禅だけではありません。
「毎日みがこう 心と佛だん」という言葉の通り、本当の掃除も心をみがきます。
でも、掃除が「めんどくさい」。特に誰かに「掃除をしなさい」なんて言われたら余計に「めんどくさい」と感じてしまいます。
しかし、ピンチはチャンス。その「めんどくさい心」をきれいにする方法こそが「めんどくさいこと」なのです。
このことを昔から「苦労は買ってまでしろ」と表現しているのです。
お寺のことに関われば関わるほど「めんどくさい」と感じることが多くあるかもしれません。
しかし、この「めんどくさい」には「その先」があることを伝えていくことが僧侶の務めの一つだと感じる今日この頃です。
- 関連記事
-
- 草取りをしていて感じること 【その1】 (2018/09/01)
- 「整える」 と 「調える」 (2018/08/31)
- 「めんどくさい」を調べてみた (2018/08/19)
- 心の「象」を消してみよう! (2018/08/18)
- 心が静かになると 音が聞こえなくなる? その2 (2018/08/17)