生かされていることを改めて感じます
東光寺(静岡市清水区横砂)では毎月23日にお地蔵様のお参りがあります。

当番のお檀家さんが準備しお供えしてくださるお団子をお参りが終わった後、いただきます。

今日のお参りが終わったとき、
「娘さんたち、もう夏休みだと思って用意しちゃった」
と言いながら当番の女性がお団子を2つ私に渡してくださいました。
小学生の娘達は休みの日の場合はお地蔵様のお参りに参加しています。
女性はすでに小学生が夏休みだと思い、お団子を用意してくださったのです。
残念ながら娘達はまだ夏休みではないため学校に行っていました。
娘達のために用意してくださったお団子を受け取りながら、
「娘はこの女性が自分たちのことを気にかけてくれるなんて知らないだろうな。」
と感じながら、
「私も子供の頃からお寺で過ごしてきたが、同じように私は気が付いていないが気にかけてくれていた人がいたのだろう。」
とも感じました。
臨済宗妙心寺派の教えである「生活信条」に
生かされている自分を感謝し 報恩の行を積みましょう
とあります。
生かされていることに気が付いたとき、今の自分に何ができるのかといえば「報恩【ほうおん】」しかないのです。
目の前のお団子に
「恩に報いる生き方ができているのか」
と聞かれている気がしています。

・・・まずは、お団子をいただいて力を出したいと思います。
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