山盛りのご飯のお供え物 【施餓鬼】

食事に行ったとき山盛りのご飯が出てきました。
ふんわりと盛ってあるわけではありません。
ギューと固めに盛り付けてくれています・・・
お腹いっぱいいただきました。
この山盛りのご飯を見たとき、施餓鬼【せがき】のお供え物を思い出しました。
※施餓鬼について詳しくはこちらをご覧ください。
施餓鬼の法要を行う際、中央に山盛りのご飯をお供えします。

餓鬼飯【がきめし】と呼ぶこともあります。

なぜ山盛りのご飯がお供えされているのか。
実は、施餓鬼の由来となっているは
救苦焔口餓鬼陀羅尼経【ぐくえんくがきだらにきょう】というお経です
お釈迦様の十大弟子の一人阿難尊者【あなんそんじゃ】がある日、一人静かに坐禅をして修行をしていました。
すると、鬼が現れ
「お前は三日以内に死ぬだろう。そして餓鬼道におちて苦しむだろう」
と言って消えていってしまったそうです。
突然鬼が見え、しかも「餓鬼道」に落ちると言われて阿難尊者は悩み、お釈迦様に相談しました。
するとお釈迦様は「多くの餓鬼や僧侶に食べ物や水などを供え供養すれば救われる」と言われたのです。そして、その通りにしたところ阿難尊者は長生きできたというお話に由来しています。
このお経の中にお釈迦様が弟子の阿難に次ように伝えたと書かれています。
阿難よ、もし、婆羅門と仙人に食べものを施そうとするならば、必ず飲食を鉢の中いっぱいに盛り、この陀羅尼【だらに】を誦えよ。
この飲食に七遍呪文をかけ、流水の中に注ぐならば、数限りない婆羅門【ばらもん】と諸々の仙人たちに、天上世界にあるような飲食を十分に献上したことになろう。
その婆羅門や仙人たちは、この食べものを食べ終わったならば、眼・耳・鼻・舌・身の五根の不具合がなくなり、何ひとつ欠けることなく安らいで、各々その願いを発して、食べものを施した人を次のように讃歎するであろう、
「私たちに食べものを施してくれたその人が、心、清浄になって、速やかに梵天の威厳と徳を証り、常に浄らかな行ないを修めて、数限りない如来に供養する功徳を完全に成就し、修行を邪魔するような諸々の敵に対して常に勝ることができますように」
と
私はこの言葉に触れたとき 「流水の中に注ぐ」という部分が気になりました。
お供えしたご飯を流してしまう・・・
一見すると食べ物を無駄にしているように感じます。
しかし、「流水の中に注ぐ」は実際に水の中に流すことが大切なのではなく、
・お供え物は法要が終わったら自分のものになる
・あのご飯をお腹いっぱい食べてやろう! チャーハンにでもしようかな、おにぎりにしようかな、とりあえず小分けにして冷凍かな・・・
といった自分勝手な気持ちを忘れなさい、捨てなさい。と説いてくださっているように感じます。
「自分のもの」、「私のもの」だという思いが、満足を知らない餓鬼の心を生み出してしまうのです。
私自身もついつい、様々な法要の際にお供え物を選ぶとき亡くなった方の好きなものや、亡くなった方に喜んでもらえるものを選ぶのではなく、自分達が好きなものを選んでしまったり、後々使い勝手の良い物を選んでしまったりします。
しかし、お供え物をするときに大切なのは「流水の中に注ぐ」がごとく、「自分こと」、「私のこと」を忘れて誰かのために、今自分ができることを精一杯にさせていただくことなのだと、山盛りのご飯や様々なお供え物を見るたびに思い出します。
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