誰にでも「発見」がある場所

地元の小学生が「総合的な学習の時間」という授業の一環で東光寺(静岡市清水区横砂)にやってきました。
・・・諸事情により写真がありません。
・・・残念です
今回の訪問では3年生が30人程来てくれました。
よく見ると境内の保育園に通っていた見覚えのある子供が何人かいました。
子供達は事前にお寺のことを調べてきてくれたうえで、質問を考えて来てくれていました。
「何年前から東光寺はあるのですか。」
「なんで隣に保育園があるのですか。」
「土日のお休みは何をしているのですか。」
「普段はどんなことをしているのですか。」
「門の黒板に書いてある言葉の意味は何ですか。」
などなど・・・
多くの質問をしてくれました。私が質問に答えていると子供達は一斉にメモをしていました。
そして、最後に子供達を代表して1人の女の子が感想を言ってくれました。言ってくれたのは境内にある保育園の卒園生であり、保育園に通っている頃は毎月坐禅を体験してくれていた子です。その子は
「保育園の頃からお寺には来ていましたが、話を聞いて初めて知ったことがたくさんあります。まだまだ知らないことがたくさんありました。」
と言ってくれたのです。
「数千ある」とも言われる様々なお経の中に、四弘誓願【しくせいがん】という幸せな生活過ごすために教えを守ることを誓う短いお経があります。
その中に一文に
学ぶべき教えは限りがないが、全てを学ぼうとすることを誓う
法門無量誓願学【ほうもんむりょうせいがんがく】
という言葉があります。
小学3年生の
「まだまだ知らないことがたくさんありました。」
とい言葉は
保育園児でも、小学生でも、中学生でも、大人でも・・・
お寺での体験は どの年代にも必要とされていることであり、どの年代に対しても「発見」があり、学ぶことがあるように改めて感じることができた言葉でした。
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