子供が道路に飛び出せば 親は手を引っ張る

先日、車が行きかう幹線道路に飛び出しそうになった子供を大声で叱っている保護者を見ました。
自分にも子供がいますので、自分の子供が道路に飛び出しそうになれば、引っ張って止めたり、大きな声を出します。
このようなことをすれば子供は間違いなく泣きます。
子供が泣いている所だけを見れば、
「外で子供が大泣きするくらい厳しく怒っている保護者」
に見えるかもしれません。下手をすれば「虐待をしている」と疑われるかもしれません・・・
昔の禅の書物を読んだ方なら
「痛棒を喰らった」といった表現を目にしたことがあるのではないでしょうか。
これは「棒で殴られた」といった意味です。
棒で殴る。何十発も殴る。叩く・・・ そのような表現がよく出てきます。
そして、坐禅をしていて集中できていないと棒で殴られる・・・
禅とはずいぶん暴力的だな~
と感じる人も少なくないかもしれません。
道路に飛び出しそうになった子供を大声で叱っている保護者の姿を思い出すと、一般的に「禅とはずいぶん暴力的だな」と思われる表現も、決して「暴力」ではないのかもしれません。
もちろん、私は暴力を肯定する気持ちは全くありません。
我が子が道路に飛び出しそうになったのを厳しく叱った保護者は
「他人から見たら暴力的に見えるかもしれない・・・」
などと考えていないと思います。ただ、まっすぐに子供のことを思っている。
自分の評判を気にして優しくするのか、子供のことだけを考えて厳しくするのか。
道路に飛び出した子供に
「危ないから、出ちゃだめよ。」
と言っても子供は止まりません。
禅の書物で「痛棒を喰らった」修行僧は、その後悟りを開かれることが多くあるように、子供のことだけを考えて厳しくするから子供が救われることもあることを改めて感じることができました。

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