被災体験と 無事是貴人【ぶじ これ きにん】

「東日本大震災を忘れない 被災体験を聞く会」で御自身の被災体験を話された女性の話しを忘れることができません。
この会では3人の被災者、そして津波避難の研究について話をしてくださる方の話しを聞くことができました。
御自身のつらい体験を人前で話すことは、大変なことだったと思います。
しかし、私は話を聞かせていただくことで多くのことを学び、これからどのように生きていくべきなのかを教えていただいたように感じます。
その中でも特に「おばあちゃんと一緒に避難したが、おばあちゃんを見失い後日おばあちゃんが遺体で発見された方」の話しが印象に残っています。
その方は、当時中学生。
自宅で過ごしているときに地震が発生したそうです。
地震が発生し驚いていていると、あちらこちらから「避難しろ」「津波がくる!」との声が聞こえてきます。自宅にいた祖母、母、妹と車で避難をしました。しかし、車は渋滞で動きません。そこへ容赦なく津波は襲ってきたのです。
避難の最中におばあちゃんとはぐれてしまいましたが、避難所に行けば会えると信じていました。
しかし、おばあちゃんは遺体となって発見されました。
あの時、おばあちゃんを助けられなかったのか、なぜ無理をしてでも引っ張っていかなかったのか、車で避難しなければ助かったかもしれない、様々な感情が彼女を襲います。周囲の人が「あなたは悪くない」「おばあちゃんだってあなたが助かって喜んでいる」とどんなに励まし慰めてくれても、気持ちが晴れることはありませんでした。
しかし、震災から7年が経った今、様々な経験をした彼女ははっきりと言うのです。
「あの出来事は本当に悲しいことであり、今でも優しかったおばあちゃんの声を思い出し涙が出ます。
しかし、だからといってあの出来事が無かった方が良かったとは思わなくなりました。
それよりも今は私が経験をしたことを少しでも多くの方に知ってもらい、地震があれば津波がくることや、本当に必要がない限り車で避難しないこと、自分の命をまず守ること、今となっては当たり前のことでも当時の私は知らなかった。知らない人が今もいるならば私は伝えていきたい。伝えながら私がしっかりと生きている姿をおばあちゃんに見せたい」
と。
私達は普段、「無事」という言葉を「何事も無い」という意味で使っています。震災に関しても当然被害に遭いたくないと考えますし、被害に遭わないことを「無事に過ごす」と表現します。
地震や津波が無い方が良いのは誰もが感じます。
普段の生活の中でも「嫌な出来事」が無い方が良いと誰もが感じます。しかし、私達は様々な「嫌な出来事」を日々体験しています。
禅の言葉に無事是貴人【ぶじ これ きにん】という言葉があります。
無事という言葉は日常的に使われる言葉で、日頃は「変わりがないこと」や「健康であること」、「平穏に過ごしている」といった意味で使われています。
しかし、禅では、無事 は 仏や悟りを外や他に求めない心の状態を言い 「一切の作為を離れた自然なあり方」 や 「こだわりのない生き方」 を意味しています。
そして、貴人 は 「悟れる人」 つまり 「自分自身に備わっている 尊い心 に気が付いた人」 を意味します。
ですから無事是貴人 は「こだわりのない生き方をする人こそが、悟れる人である」という意味になってまいります。
昭和の禅僧、山田無文老師は著書の中で無事是貴人を
「馬鹿は馬鹿のままで、真っ正直に飾り気なしに、自分の欠点を丸出しにして生きていくやつが、無事是貴人だ。」
と説いています。
大好きだったおばあちゃんを津波によって奪われた中学生の女の子は、時間をかけ、多くの人に支えられ、多くのことを経験し、
「無かった方が良かったとは思わなくなりました」
と言ったのです。
そう話す女性を見て、心が調い、つらい体験を自分のものとして受け止めた姿を見たように私は感じました。
そして、この姿こそが「真っ正直に飾り気なしに、自分の欠点を丸出しにして生きていく姿」であり、無事是貴人なのだと感じました。
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