慈しみの心

静岡東教区で行われた「花園地方大会」で、印象に残ったことがたくさんありました。
※全体の流れはこちらの記事で紹介しています。
第1部から第3部の3部構成で行われた「花園地方大会」ですが、第1部から第3部それぞれが印象深いものでした。
第1部は式典です。
式典の導師(法要の中心となる方)を務めてくださった臨済寺 阿部宗徹老大師のお話の中で
「衆生本来仏なりと、私達は生まれたときから仏様なんですよ。と言われて初めて、あー私は仏様なんだと気が付くなんてもったいない。それよりも自分で実感する方が大切です。」
といったことを話されました。この言葉はとても印象に残っています。
※言葉を正確に文字に起こしたわけではありませんが、このようにおっしゃったと私は認識しています。
私は弱い人間で、自分の失敗をつい誰かのせいにしたくなってしまいます。そんなとき、つい「だって、そんなこと聞いてないもん」というとんでもない言葉を使ってしまいます。
教わっていないからしょうがない。
言い訳やごまかしだと分かっているのですが、ついつい頭の中で「聞いてない」と考えてしまいます。
そんな未熟な私に「言われて気が付くなんてもったいない」という言葉は心に突き刺さりました。
教えられるのではなく、実感することが大切である。
自分から学ぼうとすること、実感しようと努力することの大切さを短い言葉で説いてくださったように感じます。
さらに、今回の「花園地方大会」に参加してくださった方に記念品として配布された色紙を帰宅後に見て驚きました。
今回は、妙心寺派管長 小倉宗俊老大師【おぐら そうしゅん ろうだいし】が慈しみ(いつくしみ)と書かれた色紙が参加者に配られました。
その中に、説明書きが入っており、
慈しみとは、心の奥底から湧き起ってくる自然の思いのことを言います。
黙って人のために尽くせるようになりたいものです。
とあります。
仏教では、私達は生まれながらに仏様のような尊い心をいただいていると説きます。
この「仏様のような尊い心」を、黙って人のために尽くせる「慈」という一字で伝えてくださっているように感じます。
と同時に、お二人の老大師が未熟者の私に
心の奥底から湧き起ってくる自然の思いを、もっともっと努力をして「実感」しなさい
と教えてくださっているように感じます。