人は裸になれるのか その2

前回の記事で
無依の道人 【むえの どうにん】
という言葉を紹介させていただきました。
※前回の記事はこちらをご覧ください。
無依の道人は
「知識や経験」といった余計なものを脱ぎ捨てることで、自分自身が仏だと気が付きなさい
と説いてくださっている教えです。
「心を裸にする!」と表現できるのかもしれません。
私は、これまでの知識や経験を脱ぎ捨てて心を裸にすることができれば幸せなのかもしれないと感じると同時に「それは、なかなか難しいことだ。」
とも感じてしまっていました。
しかし、心を裸にして目の前にいる人と接っすることができる人と御縁をいただき、話をすることができました。
その方は、ある会社の社長さんでした。
その方との出会いは、住むところも、お金も、洋服も、さらに身分を証明するものも、何もかもを失った若者(Y氏)の仕事を私が一緒に探したときのことです。
私は、お寺から200km以上離れた町で、本当に「無一文」の状態のY氏と一緒にいました。
Y氏に話を聞くと、頼ることができる親族もいなければ友人もいないとこと・・・
困ってしまった私は、Y氏の同級生数人に声をかけて、住み込みの仕事がないか尋ねてみました。すると一人の同級生(R氏)が、お世話になっている会社の社長さんを紹介してくれることになったのです。
この社長さん、とても人間味のある方で、困っているY氏の話を同級生から聞いて、Y氏に会う前に
「厳しく叱ることもあるけど、それでよければ寮に住まわせながら雇うことができる」
と言ってくれたのです。
驚きました。人を1人 会社で雇うと言うことは大変なことです。
もちろん、お給料のこともあります。しかし、それ以外にも本当に多くの手間や時間がかかります。その社長さんも、これまで何人もの人を雇ってきていますので、そのあたりの苦労ももちろん知っています。
その上で、会ったこともない人を雇うと言ってくださったのです。
あまりの決断の速さに社長に「なぜ、Y氏のことを助けてくれるのか」と質問をしました。
すると社長は、私が声をかけたR氏を見ながら
「Rに困っている同級生がいると聞いたからね」
と答えてくれたのです。
一般的には誰かを雇うとき、相手の面接をします。
そして、その際には これまでの知識や経験を最大限に活用しながら面接の結果を出します。
しかしこの社長さんは一切そのようなことをしませんでした。
目の前に困っている人がいたから、迷うことなく助けたのです。
この迷いのない姿も「知識や経験」といった余計なものを脱ぎ捨てた「無依の道人」の姿なのだと思います。
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