開山無相大師と十牛図【その10】

東光寺(静岡市清水区横砂)は臨済宗妙心寺派のお寺です。
臨済宗は禅宗とも言われる禅の教えを大切にする宗派であり、本山は京都にある妙心寺です。
ですから、禅の教えや妙心寺の最初の住職である開山無相大師【かいさん むそうだいし】の教えを大切にしています。
この禅の教えと無相大師の生涯を説いた「無相大師の禅・十牛図 (則竹秀南老師著)」と出会い、その内容を平成30年春の子供坐禅会で話をさせていただきました。自分自身の備忘録としてその内容をまとめたいと考え記事にさせていただいています。
十牛図【じゅうぎゅうず】とは、本当の自分(仏の心)を見つけるための過程を10の段階に分けて示した禅の書物です。10の段階を1つずつ紹介させていただきます。
今回は、その10回目です。
その10 入鄽垂手【にってんすいしゅ】

はっきりと真実の自己の分かった人が、世の中の人、社会の人を救うために、社会へ飛び出していく。
十牛図では、牛は本当の自分を表しています。本当の自分のことを「悟り」とも言います。
残念ながら未熟な私は悟っていません。
ぼんやりとも見えていません。
ですから、無相大師の生涯から学んでいきたいと考えています。
無相大師の逸話の1つに「雨漏りの話」があります。
無相大師は妙心寺の住職となり、弟子の教育に力を入れました。
当時の妙心寺は雨が降れば、雨漏りをしていたそうです。ある日、無相大師が雨漏りを見つけ弟子たちに
「お、雨漏りをしているぞ!」
と言うと、一人の弟子が、雨水を受けるためにザルを持って駆けつけたそうです。無相大師は、その弟子を褒めたそうです。そして、少し遅れて後から他の弟子が、桶や鍋を持ってくると無相大師は、その弟子を厳しく叱ったそうです。
初めてこの話を聞いたとき私は「意味が分からない」と私は思いました。
雨漏りにザルなんて役に立たないじゃないか、鍋やバケツを持っていって当たり前じゃないかと感じたのです。しかし、この話は
「仏の心や尊い心は瞬時に現れるが、次の瞬間、選り好みや、ためらいに流れる」
ということを説き、私たちの心の動きを戒めているのです。
良いと思ったことは、その瞬間に行うことの大切さを教えているそうです。
無相大師は雨漏りという日常をも弟子を育てる修行の機会にされました。日常の全てが修行の場となるのです。
これこそが、はっきりと真実の自己の分かった人が、世の中の人、社会の人を救うために、社会へ飛び出していくことを示す、入鄽垂手【にってんすいしゅ】とのことです・・・
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