開山無相大師と十牛図【その7】

東光寺(静岡市清水区横砂)は臨済宗妙心寺派のお寺です。
臨済宗は禅宗とも言われる禅の教えを大切にする宗派であり、本山は京都にある妙心寺です。
ですから、禅の教えや妙心寺の最初の住職である開山無相大師【かいさん むそうだいし】の教えを大切にしています。
この禅の教えと無相大師の生涯を説いた「無相大師の禅・十牛図 (則竹秀南老師著)」と出会い、その内容を平成30年春の子供坐禅会で話をさせていただきました。自分自身の備忘録としてその内容をまとめたいと考え記事にさせていただいています。
十牛図【じゅうぎゅうず】とは、本当の自分(仏の心)を見つけるための過程を10の段階に分けて示した禅の書物です。10の段階を1つずつ紹介させていただきます。
今回は、その7回目です。
忘牛存人【ぼうぎゅうそんにん】

家に帰って牛がいなくなったこと。仏の心を求めて家を出たが、仏の心を手に入れて家に帰った状態。もう仏の心だけで生きていく。
これまでに牛に例えられる仏の心を探し、見つけ、飼いならしました。
牛は飼いならしたらどうなるのでしょうか。
私のような未熟者はついつい、牛をずっと飼っておく。
と考えてしまいます。しかし、十牛図では違います。
牛はいなくなってしまうのです。
「え、振り出しに戻るの?」
と思うかもしれませんが、違います。
白隠禅師は 「衆生本来仏なり【しゅじょう ほんらい ほとけなり】」「生きとし生きるもの みんな 仏様のような尊い心をいただいている」と説いています。
尊い心はどこにあるのかといえば、もちろん私達の中にあります。
探しに、探した牛(仏の心)は遠くにあったわけではありません。自分の中にあるのです。
だから、牛はいなくなったのです。
いなくなったのではなく、自分の中に戻ったのです。
十牛図では、牛は本当の自分を表しています。本当の自分のことを「悟り」とも言います。
残念ながら未熟な私は悟っていません。
ぼんやりとも見えていません。
ですから、無相大師の生涯から学んでいきたいと考えています。
無相大師は徹底的に修行をされました。しかし、その後「尊い心を自覚したこと」つまり悟りをひらいたことを誰かに言いふらしたり自慢することなく、修行していたお寺を離れ田舎の農村へと移ったのです。
そこで、村人と共に農村での生活を送ったのです。
畑の仕事を手伝ってくれと言われれば手伝い、
買い物を頼まれれば買い物をし、
牛の世話を頼まれれば牛の世話をしたのです。
無相大師は坐禅を続けながらも普段は決して偉そうにすることなく過ごしましたので村の人達は
「朝夕はお経が聞こえてくるから、きっとあの人はお坊さんなんだろう」と無相大師が偉い僧侶だと村人も気がつかなかったと言われています。
これが無相大師の御修行の人格の表れであり、これが、忘牛存人【ぼうぎゅうそんにん】とのことです・・・
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