開山無相大師と十牛図【その5】

東光寺(静岡市清水区横砂)は臨済宗妙心寺派のお寺です。
臨済宗は禅宗とも言われる禅の教えを大切にする宗派であり、本山は京都にある妙心寺です。
ですから、禅の教えや妙心寺の最初の住職である開山無相大師【かいさん むそうだいし】の教えを大切にしています。
この禅の教えと無相大師の生涯を説いた「無相大師の禅・十牛図 (則竹秀南老師著)」と出会い、その内容を平成30年春の子供坐禅会で話をさせていただきました。自分自身の備忘録としてその内容をまとめたいと考え記事にさせていただいています。
十牛図【じゅうぎゅうず】とは、本当の自分(仏の心)を見つけるための過程を10の段階に分けて示した禅の書物です。10の段階を1つずつ紹介させていただきます。
今回は、その5回目です。
その5 牧牛【ぼくぎゅう】

野生の牛を飼いならしていくこと。飼いならすと縄で引かなくても牛は言うことを聞く。注意をしていれば欲望に捕まることなくに毎日の生活ができる状態。
十牛図では、牛は本当の自分を表しています。本当の自分のことを「悟り」とも言います。
残念ながら未熟な私は悟っていません。
ぼんやりとも見えていません。
ですから、無相大師の生涯から学んでいきたいと考えています。
禅の逸話の中には「こだわりのない心」について説いた話がたくさんあります。
こだわることを、執著や迷い、分別【ふんべつ】などといいますので、
「こだわらない心」のことは
執著しない心
迷わない心
決めつけたり区別しない心
とも表現することができます。
こういった心を私達は生まれたときから持っていると仏教では説いています。
しかし、普段の生活の中でどうしても、この「尊い心」は曇ってしまうことがあります。その曇った心を調えるために禅の教えや修行があるのです。
「一休さん」と呼ばれ親しまれている一休禅師の逸話にもこだわらない心を示したものがあります。
ある日、弟子とウナギ屋さんの目を通りかかった一休さん
「お、いい匂いだ。うまそうだ!」
と言ったそうです。それを聞いた弟子は驚きます。「僧侶が生臭なウナギをうまそうだとはどういうことだ!?」弟子は悶々としながらしばらく歩き、たまらずに質問をします。
「和尚様、さっきウナギをおいしそうと言いましたが、そんなことを言ってもいいのですか?」
すると一休禅師は
「おまえは、まだ蒲焼を鼻の先にぶら下げているのか!」
と叱ったのです。
うなぎのいい匂いを感じたら「いい匂い!」これはこだわりのない心。
しかし、「和尚なのに いい匂いだと言った・・・」と想いを巡らせるのがこだわりの心と説くのです。
遠くから寺の鐘の音が聞こえたとき、「あ、鐘の音」と思うのはこだわらない心。
しかし、「今の鐘は、撞き方が良い・悪い。音が良い・悪い。」と想いを巡らせるのがこだわりの心と説くのです。
私達は普段の生活で想いを巡らせています。巡らせすぎたり、巡らせかたを間違えれば迷いや苦しみがあふれてきます。
ですから、巡らせることなく心を調えるために禅の修行があるのです。
無相大師は修行し師匠に悟りを開いたことを認められましたが「しばらく悟りの後の修行をしなさい」と言われ現在の岐阜県美濃加茂市へと移り、悟りの後の修行をされたのです。
山の中に小さくて粗末な家を作り、お経を読んだり坐禅をして過ごし、昼間は村で田を耕したりしながら農家の人々と共に暮らしたそうです。
暮らしの中で起こる「想い」を巡らすことなく、こだわりのない心のままに生活をする修行をされたと言われています。
これが 牧牛【ぼくぎゅう】とのことです・・・
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