開山無相大師と十牛図【その1】

東光寺(静岡市清水区横砂)は臨済宗妙心寺派のお寺です。
臨済宗は禅宗とも言われる禅の教えを大切にする宗派であり、本山は京都にある妙心寺です。
ですから、禅の教えや妙心寺の最初の住職である開山無相大師【かいさん むそうだいし】の教えを大切にしています。
この禅の教えと無相大師の生涯を説いた「無相大師の禅・十牛図 (則竹秀南老師著)」と出会い、その内容を平成30年春の子供坐禅会で話をさせていただきました。自分自身の備忘録としてその内容をまとめたいと考え記事にさせていただいています。
十牛図【じゅうぎゅうず】とは、本当の自分(仏の心)を見つけるための過程を10の段階に分けて示した禅の書物です。10の段階を1つずつ紹介させていただきます。
今回は、その1回目です。
その1 尋牛【じんぎゅう】

牛(本当の自分・仏の心のたとえ)を無くしていることに気づき、一大決心をして牛を探して家を出でる。しかし、牛を見つけることはまだできない。
お釈迦様が王子様だったことは有名な話です。
何不自由なく生活をしていた王子さまでしたが、様々な体験を通して
「人はなぜ生まれるのか、なぜ老いるのか、なぜ病気になるのか、なぜ苦しまなくていけないのか」
と疑問を感じるようになり、その答えを見つけるために王子様としての何不自由のない生活を捨て修行を始められました。
同じように開山無相大師も信州の御曹司として誕生しますが、その身分を捨て修行されたのです。
十牛図の1番初めは尋牛です。
苦しみとは何か、本当の自分とは何かという疑問に対して、その答えを探そうと、お釈迦様も開山無相大師もまずは「捨てる」ことから始めているのです。
私は何かを知りたいと思ったとき、ついつい調べてしまいます。
本であったり、インターネットであったり・・・
知識で解決をしようとしてしまいます。
しかし、私にはこの方法は大きな欠点があるよう感じます。
それは、「覚えていられない」ということです。
もちろん、私の記憶力が極端に悪いことが原因のひとつではありますが、百聞は一見に如かずとも言うように、体験に勝るものがないことがその理由です。
「理解はできても納得ができない」とも表現できるかもしれません。
知識で悩みを解決したように思っても、実感できていないと本当に解決したように感じることができず、解決しように思ったことを「覚えていられない」のです。
お釈迦さまや開山無相大師のように「本当の自分」を見つけられた方は実体験をしています。
「坐禅は良いものだ」と本を読んだりインターネットで調べたりしても、心身がすっきりとすることは中々できません。
これでは本当の自分はいくら探しても見つかりません。
しかし、実際に1回でも坐禅をすれば、坐禅の良さを実感し、その感覚を覚えておくことができます。このような体験を繰り返すことで、やがて本当の自分を見つけることができるのかもしれません。
本当の自分とは何かと言うことに疑問を感じたとき、知識を増やすことだけに取り組むのではなく、大切だと思い込んでいるものを捨てさり、自分の身体を全て使って学ぼうとすることの大切さを開山無相大師の生き方から学ぶことができます。
- 関連記事
-
- 開山無相大師と十牛図【その3】 (2018/05/13)
- 開山無相大師と十牛図【その2】 (2018/05/12)
- 開山無相大師と十牛図【その1】 (2018/05/11)
- 開山無相大師と十牛図【その0】 (2018/05/10)
- 自分を真正面から見つめる勇気 (2018/05/04)