情けなくて恥ずかしい私 【その1】

若かりし頃、祝日はうれしいものでした。
しかし、祝日の意味など考えず「ただ休みが増えた」くらいの感覚しかもっていませんでした。
・・・恥ずかしい。
若かりし頃、地元(静岡)を離れ神奈川県や愛知県で過ごした時期があります。その頃出身地の話しになったときに
「静岡って何が有名?」
と聞かれることがありました。そういったとき私は
「静岡なんて 何もありませんよ!」
と答えていました。
・・・情けない。
自分が学ぼうとしていないことや知らないことを棚に上げ「何もない」などと言っていたことが、情けなくも恥ずかしい・・・
4月29日は「昭和の日」という祝日です。
この日は
「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」
ために祝日となっています。
私は「激動の昭和」と言われると、終戦の際にラジオの前で姿勢を正して天皇陛下の
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・」
という言葉を聞いている映像を思い出します。
当時の映像を見たり、話を聞くたびに、戦争と言う想像を絶する日々が終わり、先人たちの必死の働きによって見事に復興した日本で生活ができることは奇跡的な体験だと感じます。
しかし、どうしても日々の生活の中で、今の現状がどれほど恵まれた環境にあるのかを忘れてしまうことですがあります。こういった感謝の気持ちをもって祝日を過ごすことが大切だと改めて感じます。
さらに、この「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・」の文言を当時の首相に進言した和尚様が、実は静岡県のお寺の住職(静岡県三島市にある龍澤寺を再興した山本玄峰老師)だったと言うことを知ったとき、
「静岡なんて 何もありませんよ!」
と答えていた私はなんて情けなくて恥ずかしい奴なのだと感じますし、多くのことを学ぼうとすることが大切だと改めて実感をしました。
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