「お寺で暮らしているから、お経を読め」と言われる小学生

【写真はイメージです】
小学生が同級生に
「お前の親は銀行で働いているんだろう。銀行ってお金を貸すところだろ。だったらお前も俺に金を貸せ。」
と言っているのを大人が聞いたら、多くの大人が「それは間違っている!」と注意するはずです。
小学生が同級生に
「お前の家はマッサージ屋だよな。だったら俺は今疲れているから、ちょっとマッサージしろよ!」
と言っているのを大人が聞いたら、多くの大人が「それは間違っている!」と注意するはずです。
小学生が同級生に
「お前の家はレストランだよな。だったら俺は今日の調理実習はお前が全部料理しろよ!」
と言っているのを大人が聞いたら、多くの大人が「それは間違っている!」と注意するはずです。
しかし、
小学生の頃に私が同級生に
「さっきクラスで飼っていた金魚が死んじゃった。お前の家はお寺だよな。だからお前がお経を読めよ!」
と言っているのを大人が聞いても「それは間違っている!」と注意してくれる人に出会ったことはありませんでした。
実は「幼少期をお寺で過ごした人あるある」の1つに、
学校で飼っている動物が死んだときに お寺に住んでいるという理由だけで、お経を唱えることを強要される
というものがあります。
そして、このことに疑問を感じる大人が少ないことも事実です。
望んでその場所に生まれたわけでもなく、望んで僧侶である親のもとに生まれたのでもないのに、住んでいる場所、親の生き方によって子供が影響を受けることが今もあるのです。
クラスで誰かの財布が無くなったとき
「親が泥棒だから、犯人はあいつだ!」
なんて言ったら大問題です。
クラスで班(グループ)を作るときに
「あいつの親は外人だから、仲間に入れてやらない」
なんて言ったら大問題です。
それと同じレベルの発言が
「お寺で暮らしているから、お経を読め」
だと思います。
もしも、身近なところで小学生が同級生に「お寺で暮らしているから、お経を読め」と言っていたら、ぜひ大人が「それは間違っている!」と声をかけていただきたいと切に願っています・・・
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