誰かの為に手を合わせるとこ

ある和尚様に「合掌【がっしょう】」について興味深い話を聞かせていただきました。
「以前だったら僧侶が合掌(手を合わせ)礼拝(頭を下げる)をすれば、自然と周囲の人達が同じように合掌礼拝をした。
しかし最近はしない。自分に向かって手を合わせられれば合掌をするが、そうでなければしない!」
と言うのです。
法要の前後で僧侶が正面に向かって合掌礼拝をしたとき、以前は一般の方も自然と手を合わせて頭を下げたのです。
しかし最近は、「合掌してください、礼拝してください」と呼びかけないと動かないことが増えたとのことです。
僧侶が挨拶のために参列者に向かって頭を下げれば、今も昔も、頭を下げるそうです。
つまり、頭を下げるという動作ができないのではありません。
何かを自分に対してしてくれる人には自分も何かを返すが、自分から誰かの為に何かすることが難しくなった。
とも言えるようです。
東光寺(静岡市清水区横砂)の本山である妙心寺には
人間の尊さにめざめ 自分の生活も他人の生活も大切にしましょう
という教えがあります。自分だけでなく、他人も大切にするのです!
他人を大切にするためにはどうしたら良いのでしょうか?
様々なことが考えられますが、普段の生活に勝るものはありません。
静かに手を合わせて誰かの為に、自分から頭を下げる。
これも大切な修行です。
このことを繰り返すことで
「私のために、誰かが何かしてくれたから私もお返しをしよう」
ではなく
「誰かの為に喜んで何かをしよう」
という気持ちになり、この気持ちの積み重ねこそが、人間の尊さにめざめるための第1歩になるのではないでしょうか。
- 関連記事