本当に迷惑 その3
前回までのブログで
迷惑には「心が暗くとどまり、道に迷う」
と言う意味があることを紹介させていただきました。そして、葬儀や法事の際には残された家族は一心に手を合わせることで、暗くなってしまった私達の心に光が差し込むことをお伝えしました。
※「本当に迷惑 その1(迷惑の意味)」はこちらをご覧ください。
※「本当に迷惑 その2(葬儀の心)」はこちらをご覧ください。

「子供に迷惑をかけたくないから葬式はやらなくて良い」
という方と何度も話をさせていただいていますが、共通しておっしゃることは
「お金がかかる」
ということです。しかし、そうおっしゃったとしても詳しく聞くと、
「お金がない」
よりも
「お葬式にお金をかけたくない。お葬式の為にお金を払いたくない」
が圧倒的に多いように感じます。
なぜ、お葬式に金をかけたくないのかと質問をすると、
「費用対効果が極端に低い」
といった内容の答えを出す方が多くいらっしゃいます。
葬儀は故人とのお別れの儀式ではありません。
残された私達がどのように生きて行くのかを知ること、そしてどのように生きて行くのかを誓う式なのです。
そして一心に手を合わせることで、暗くなってしまった私達の心に光が差し込むことを実感ができるはずなのです。
そこは、費用対効果を求める場所ではないのかもしれません。

以前一人の女性が突然お寺にきたことがあります。
初めて東光寺(静岡市清水区横砂)へ来たと言いっていました。
女性はドアを開けるなり
「水子供養をお願いできませんか。」
と質問をされました。
東光寺では水子供養など法要は基本的には前もってご連絡をいただき供養をさせていただきます。
しかし、この時は、ちょうど私がお寺にいましたのですぐに法要をさせていただくことになりました。
東光寺の水子供養は、まず本堂の中で法要を行い、その後山門の近くにある大きな水子地蔵様の前でお参りをします。
本堂内での法要が終わりお地蔵様の前へ移動しようと思ったとき、法要中ずっと涙を流していたその女性が話をしてくださいました。
女性は様々な事情によってお腹の赤ちゃんを諦めなくてはいけなくなったと話してくれました。
しかし、それは最近の出来事ではなく少し前の事だったそうです。
お腹の赤ちゃんを諦め、非常に辛い思いをしましたが「供養」はせずにこれまで過ごしてきたと言うのです。
心の中にいつもモヤモヤとしたものがあって、なんだか気持ちが晴れない日々を過ごしていたそうです。
そのため、ふと静かに一人になったときなどに、急に赤ちゃんのことを想って涙を流したこともあったそうです。
そして、この日 女性はたまたまお寺の前を通りがかったのです。
なぜ急にお参りをお願いしてきたのかというと、この女性がお寺の前を通ったときに全く知らない一人の女性がお地蔵様の前で静かに手を合わせていたそうです。
その姿を見たとき女性は今まで自分自身の曇っていた心が少し晴れた気がしたというのです。
そして、そのまま水子供養をお願いしようとお寺の中に入ってきたとのことでした。
この女性は法要が終わった後、涙を流しながら
「これでやっと安心することができました。」
と、おっしゃったのです。
もちろん手を合わせ一心にお参りをすることで自分自身の心が安心したのだと思いますが、そのきっかけをくれたのもくれたのは全く知らない赤の他人でした。
名前も知らない女性が手を合わせている姿が大変美しかったのだと思います。
悩み苦しんでいる女性を救う美しい姿だったのだと思うのです。
その美しい姿に導かれて女性は亡くなった子供の供養をすることができたのです。
そして、供養をすることで心の安心を得られたのだと考えています。
たまたまお地蔵様の前でお参りをしていた女性は「費用対効果」など計算をせずに、ただ一心に手を合わせていたのではないでしょうか。だからこそ、通りかかった女性の心を動かしたのです。
しかし、本来この役割を私自身が果たさなくてはいけないはずなのです。
僧侶である私がお地蔵様や様々な場所で手を合わせている姿で誰かが気付き自分自身も手を合わせたいと思えるようにならなくてはいけないのです。
しかし、まだまだ未熟な私にはその力がありません・・・
自分自身がこれからも手を合わせしっかりと心を込めてお参りをするという実践を繰り返していくことで、その姿を見た誰かが自分も手を合わせてお参りをしたいそう感じてもらえるように努力を続けていきたいと考えています。
迷惑には「心が暗くとどまり、道に迷う」
と言う意味があることを紹介させていただきました。そして、葬儀や法事の際には残された家族は一心に手を合わせることで、暗くなってしまった私達の心に光が差し込むことをお伝えしました。
※「本当に迷惑 その1(迷惑の意味)」はこちらをご覧ください。
※「本当に迷惑 その2(葬儀の心)」はこちらをご覧ください。

「子供に迷惑をかけたくないから葬式はやらなくて良い」
という方と何度も話をさせていただいていますが、共通しておっしゃることは
「お金がかかる」
ということです。しかし、そうおっしゃったとしても詳しく聞くと、
「お金がない」
よりも
「お葬式にお金をかけたくない。お葬式の為にお金を払いたくない」
が圧倒的に多いように感じます。
なぜ、お葬式に金をかけたくないのかと質問をすると、
「費用対効果が極端に低い」
といった内容の答えを出す方が多くいらっしゃいます。
葬儀は故人とのお別れの儀式ではありません。
残された私達がどのように生きて行くのかを知ること、そしてどのように生きて行くのかを誓う式なのです。
そして一心に手を合わせることで、暗くなってしまった私達の心に光が差し込むことを実感ができるはずなのです。
そこは、費用対効果を求める場所ではないのかもしれません。

以前一人の女性が突然お寺にきたことがあります。
初めて東光寺(静岡市清水区横砂)へ来たと言いっていました。
女性はドアを開けるなり
「水子供養をお願いできませんか。」
と質問をされました。
東光寺では水子供養など法要は基本的には前もってご連絡をいただき供養をさせていただきます。
しかし、この時は、ちょうど私がお寺にいましたのですぐに法要をさせていただくことになりました。
東光寺の水子供養は、まず本堂の中で法要を行い、その後山門の近くにある大きな水子地蔵様の前でお参りをします。
本堂内での法要が終わりお地蔵様の前へ移動しようと思ったとき、法要中ずっと涙を流していたその女性が話をしてくださいました。
女性は様々な事情によってお腹の赤ちゃんを諦めなくてはいけなくなったと話してくれました。
しかし、それは最近の出来事ではなく少し前の事だったそうです。
お腹の赤ちゃんを諦め、非常に辛い思いをしましたが「供養」はせずにこれまで過ごしてきたと言うのです。
心の中にいつもモヤモヤとしたものがあって、なんだか気持ちが晴れない日々を過ごしていたそうです。
そのため、ふと静かに一人になったときなどに、急に赤ちゃんのことを想って涙を流したこともあったそうです。
そして、この日 女性はたまたまお寺の前を通りがかったのです。
なぜ急にお参りをお願いしてきたのかというと、この女性がお寺の前を通ったときに全く知らない一人の女性がお地蔵様の前で静かに手を合わせていたそうです。
その姿を見たとき女性は今まで自分自身の曇っていた心が少し晴れた気がしたというのです。
そして、そのまま水子供養をお願いしようとお寺の中に入ってきたとのことでした。
この女性は法要が終わった後、涙を流しながら
「これでやっと安心することができました。」
と、おっしゃったのです。
もちろん手を合わせ一心にお参りをすることで自分自身の心が安心したのだと思いますが、そのきっかけをくれたのもくれたのは全く知らない赤の他人でした。
名前も知らない女性が手を合わせている姿が大変美しかったのだと思います。
悩み苦しんでいる女性を救う美しい姿だったのだと思うのです。
その美しい姿に導かれて女性は亡くなった子供の供養をすることができたのです。
そして、供養をすることで心の安心を得られたのだと考えています。
たまたまお地蔵様の前でお参りをしていた女性は「費用対効果」など計算をせずに、ただ一心に手を合わせていたのではないでしょうか。だからこそ、通りかかった女性の心を動かしたのです。
しかし、本来この役割を私自身が果たさなくてはいけないはずなのです。
僧侶である私がお地蔵様や様々な場所で手を合わせている姿で誰かが気付き自分自身も手を合わせたいと思えるようにならなくてはいけないのです。
しかし、まだまだ未熟な私にはその力がありません・・・
自分自身がこれからも手を合わせしっかりと心を込めてお参りをするという実践を繰り返していくことで、その姿を見た誰かが自分も手を合わせてお参りをしたいそう感じてもらえるように努力を続けていきたいと考えています。
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